ふたご新聞2000春・第2号('00年4月27日発行) 


アンケート特集

おでかけ大作戦    

さわやかな初夏の風に誘われ、かわいい双子ちゃんを連れて歩くのは
とーってもウレシク誇らしいこと。その裏にはこんな苦労があるのです。
以下、そのアンケート結果から抜粋です。

お買い物篇

車の運転が出来ない私にとっては、それはそれは大変。1歳になるまで週末の買い出しは二段構え。まずパパがオムツや牛乳など大物を買いに行き、戻ってから私が近場へ食料を買いに行きました。1歳過ぎてからは2歳違いの兄と遊ばせてくれて、私が買い物をするようになった。
7ヶ月位までおんぶとA型ベビーカー。その頃はエレベータのないマンションの2Fに住んでいたので、急いでベビーカーを下ろし、前を×にしてしっかりとおんぶ(でないと両手が自由にならない)して、もう1人を抱いて降ります。お坐りできるようになった頃1Fに引っ越したので、玄関から直接2人乗りベビーカーで出られるようになった。でも成長するに従いすごい重さになるので、今度はちょっとした段差、急な坂道、駐輪の多い歩道を避けて遠回りせねばなりません。足腰の鍛錬になりました。
(成長しちゃうと何でもないことですが、障害者、お年寄りにはずーっと大変なわけですね)

お散歩・公園篇

1歳半〜2歳位までは頑張って公園にも連れて行っていた。お兄ちゃんも含め3人がバラバラの所で遊んでいるのでママ達のおしゃべりにもなかなか参加できず、参加しているときに限って何かしでかすという感じで、常にどこで何をしているか目をキョロキョロさせねばならず、結構疲れていた。でも双子ちゃんということですぐ覚えてもらえる利点はあったけど。
1歳位までは出不精を決め込み、無理な外出や待ち合わせはしませんでした。上に子どもがいなかったのでそれで済みました。
長男だけのときはママコートなんて使わなかったけど、おんぶ・だっこの頃の冬はとても便利だった。ちなみに梅雨時はママコート型のレインコートが大活躍でした。(上に幼稚園の子がいるため、どんな天気でも送り迎えがあったからで、双子だけなら天気が悪ければ出かけないですよね)

遠出篇

お中元とかで渋谷に頑張って出てました。3歳になってもあんまり歩かない(すぐだっこをせがむ)ので、おんぶしてだっこしてお兄ちゃんの手を引いて行きました。保健所へも、車を運転できないので50分かけて歩いて行ったのも今では懐かしい思い出です。
1人で電車で出かけるときは、おんぶ+1人用ベビーカーでした。まだまだエレベーターのない駅が多いので、双子用で出かけてどうにも動けなくなったら困りますので。夫もいっしょの時は、1人用ベビーカーを2台持っていたのでひとりづつ担当。横並びの二人乗りは狭いところが通れない。駅の改札口や、くるまが入れないように立っているポールの間とか‥。

くるま篇

(今回、マイカー派の人からはアンケートの回答をいただけませんでした。以外と楽チンなのでしょうか。この4月からのチャイルドシート義務化で、乗車定員など新しい問題も出てくるとは思いますが…)

その他

母乳で育てていたので、いわゆる授乳口付ブラウスをずっと着ていました。2人を同時授乳するとき、全部はだけるのはすごすぎる。授乳口付きなら、まん中にブラウスが残るので、外出先でも何とかさまになる(と思ってます)。
◎外に行くと必ずといっていい位「双子ですか」または「双子だよね」とコソコソ…。そんなに双子はめずらしいのでしょうか。


ふたごの会が、
新聞全国版に載りました。

2000年2月7日 朝日新聞の家庭欄に載りました。2月1日に取材されたものです。
ちなみに取材にいらした記者の方は三つ子のお父さんだそうです。


現役ふたごママ いんたびゅう

山上美栄子さんの巻

☆宮前区双子の会もサークル化、自主運営を始めて1年になりました。その代表としていろいろとお骨折りいただいた山上さんにふたごの会の発足、発展についての展望などをお伺いしました。ご存じの方も多いと思いますが、芳保くん、孝保くんがこの春"年中"さん、お兄ちゃんは新1年生とやんちゃ盛りの3人と悪戦苦闘しながらのこの1年間でした。今回は全員を送り出しほっと一息ついている貴重なお時間に語っていただきました。

青文字部分が山上さんのお話です)

1年間いろいろとおつかれさまでした。まず、双子をお持ちのお母さんに定番の質問ですが、双子とわかったのはいつ頃ですか。
 2回目の検診、だから3ヶ月半位のときですね。もうびっくりするばかりで、看護婦さんたちはよかったよかったと言うけれど、まだ上の子も小さいし、また男だったら…とか、とにかく戸惑いました。


妊娠、出産は順調だったと聞いていますが‥
 その通り。妊娠中の経過も良好だし、第1子のときは入院の準備もしないうちに陣痛が5分間隔になってしまって、産院について速効で産んでしまったんです。今度は双子だし、早産もあるかもと、さすがに早めに準備はしてました。予定日より1ヶ月早く、おやこれは陣痛それともおなかの具合‥?と思っているうちに子宮口が全開になっていて、やはりあっという間、まあ前回ほどではなかったですけど。


すごい安産体質ですね。
 ほかの方に申し訳ない感じです。


その時お兄ちゃんちょうど2歳、ただでさえむずかしいときですね。
 そうですね。今振り返れば、気を引くために本能的にやっかいなことを引き起こしたりしていました。2人が生まれてから、それまでのようにちょくちょく公園に連れていけないし‥そういったことを保健婦さんに相談したことが、どうもふたごの会のきっかけになったようなんです。

そのことを詳しく教えてください。
 2.300gと2.500gだったので、1人低体重出生児ということで保健婦さんの訪問があったんです。それが96年4月初めくらい。その時、2人にかまけて上の子がかわいそうかも、ということや、育児サークルに入っていたけど双子となると悩みなども違うだろうし双子の人同士の集まりがあるといいな、などといったことをお話ししたと思うんです。そうしたら、その1週間後位に5〜6組集まりそうだといって連絡があって。まだ生後2ヶ月にもならないので、1人は実家に預けて1人だけそーっと抱いて連れていきました。

サークル化のいきさつは。
 98年9月くらいに、“月1回せっかく集まっているんだし、何か、おしゃべりしたりしてその場限りで終わっているのももったいない”ということを言い出してくださった方があって、何組かでそんな話を詰めていくようになりました。でもその方がご主人の海外転勤で抜けてしまわれて、その時のメンバーの中で、古株で子どももある程度大きくなっていて、ほかで育児サークルの経験もあるということで、なんとなく私が代表みたいになってしまったのです。年が明けて、1月か2月に、一応みなさんに会費だとか交代でお仕事をするなどの負担についても説明して、特に反対される方もいらっしゃらなかったので、4月からスタートし、今に至っています。

社会福祉協議会の母親クラブにも登録してますよね。
 その時の担当の保健婦さんに、申請して通れば活動資金の補助がいただけると聞きまして。会の趣旨や年間スケジュールなどを大まかに書き提出したところ、運良く通りました。そこだけでなく宮前区の方からも少し頂いています。

今年で2年目、今後の展開についてのお考えをお聞かせください。
 次の代表陣の方々におまかせしていくわけですが、もちろん盛り上がっていって欲しいです。子どもが大きくなって幼稚園になると午前中の集まりには足が遠のきますが、そういう方の間でも、節目節目に連絡しあったり情報交換できたら、という声もあります。乳幼児の育児サークルの枠を越えて、今ちいさい双子たちが大きくなって、本人の体験を次のお母さん達に語ってもらえるようになるまで続くといいですね。思春期になったら、双子特有の問題もありそうだし、われわれの悩みはかえって増えるかもしれない。それを分かち合い支え合えるおつきあいができると本当にいいですよね。

私もそう思います。
 1年間、保健婦さん、ボランティアさん、皆様のご協力で無事終えることが出来、有り難うございました。不慣れな点も多々あったかと思いますが、1年目ということでお許し頂ければと思います。


今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。


ふ た ご の 会 報 告

宮前保健所の呼びかけで毎月1回行われています。ごく最近の様子をご紹介します。

☆ことしの日程について

 諸般の事情により、今までと開催日が変わります。主に第4木曜ですが、第5のときや月曜になる月もあります。今後一年間の予定日は下記の通りです。お気をつけください。
2000年4/275/256/297/279/2810/2611/3012/142001年1/302/223/22
(すごく少ない感じになりますね。今からカレンダーに○をつけてください)