上の二人=ricochica7歳の誕生日を祝うため、駅前のデパ地下(徒歩圏内なのがウレシイ)で丁度良い大きさの苺ケーキを2つ丸ごと買ってきて学校からの帰りを待つ。今年はそれぞれに7本のローソクを立ててやれるということで、喜ぶ顔が目に浮かぶわ。 で、帰ってきてから連絡帳だの宿題だのを処理していると、向かいのマンションのchicaの同級生のところに遊びに来た女の子たちが誘いにやってきた。きくと、そのそちらの子のウチに何人もで遊びに来てるらしい。そこで、急遽ケーキを持参してその家に押しかけ、誕生パーティーをやらせてもらった。 忘れていたがそういえばこの日PTAの総会があり、それに出席するお母さんが子どもをこの家に送り込んでいたのだ。だから、それが終わり次第次々にそのお母さまたちがお子さまを迎えにやってくる。多くは“同じクラスなのに初めてお会いするお母さまたち”だった。 ricochicaの誕生日のおかげで、なかなか話す機会のなかった方々と親睦が図れちゃったりなんかして。学校から子供会やらなにやらの地域情報をゲットでき、二重に有意義な一日であった。 |
本日の昼飯はスイトン(漢字で書くと“水団”らしい)に挑戦。あ、もちろん野外で。 折れ枝・枯れ枝を集め火をおこし、湯を沸かしたナベにダシと具を放り込み汁の用意。それと同時進行で小麦粉(薄力粉+強力粉ブレンド)を捏ねるわけだが、これを子どもたちにやらせてやるってんだから大騒ぎである。保育の一環て感じするでしょ。 4、5歳になればまだしも、2歳児が指示通りにできるわけがない。が、とにかくおもしろそうなことには手を出したい。だから捏ね場は押し合いへし合いだ。しかし、粉が水となじんでまとまるまでには、幼児がのろのろしてるだけに手にベトベトくっつくばかり。すぐに「おててあらいた〜い」とか言い出すし。手にくっついてる生のタネをひたすら食べている子もいるし(ちなみにこの子はこれでお腹を壊すこともない)。あたりは粉やら捏ねかけのタネの細かいのやらで散らかり放題(でも外だから気にならないのがイイのじゃ)。 そんなこんなでなんとか纏まったタネを、こんどは丈夫なビニール袋に二重に入れて足でフミフミさせてやってコシを出そうと試みる。でも、なんせ子どものこと、体重軽いから(抱くと重いのに)たいしてコシが出そうにない。そこで、タネのビニール袋を一本背負いして「うりゃうりゃうりゃ〜!」と床(ではなく、敷物の上に段ボールを敷いたところ)にタタキつけたりしてたら、これが大ウケ!「もっとやって〜」「僕も〜」「ワタシも〜」。そして子供たちが背負ってみるとなんだか“プレゼントの袋”みたいだったので「♪サンタクロース、サンタクロース、おしごとちゅーし」と歌と踊りがはじまり、スイトンのタネであることは忘れられてしまった。 さて、程良くぐつぐつ煮えてるナベに一口大にまるめたタネを放り込んで、一煮立ちしたら食べられるのであるが、よく捏ねたおかげか熱を通すとかなり膨らむ。細長く伸ばせばうどんになるね、とやってみたら巨大なちくわになってしまった。 とにかく親子ともどもタノシイひるゴハンであった。 |
検査薬で陽性が出てからすでに1ヶ月以上、やっと診察を受けることができた。今回こそは、念願の、憧れの、A馬助産院で産みたいのである。S沼産婦人科に妊娠診察に行ってしまうと、顔見知りの助産士さんなどに「ふたごちゃん、元気?」とか聞かれて、つい情に流されて「またここで産まないと悪いかな〜」などということになってしまう恐れがある(amiのときそうだったのだ)。 評判のベテラン助産士の先生はこんな感じであった。「(お腹を触診して)うーん、この時期だともうちょっと触った感じが固いんだけどねえ」「(超音波診察の機器が少々古いため良く見えないのを見て)ちょっと小さめの感じだけど盛んに動いてて元気だし…まいっか」「もう1ヶ月位したらまたいらっしゃい、母子手帳はそれからでいいと思うから」「あら、ふたごちゃん普通分娩してるの、凄いわね、2200グラム…ふむふむ」 人類はじまってからこっち、みな自然に任せて産み、育ててきて何百万年。多分、大方の人は綿密な産前の診察や管理入院などあまり必要はなく、赤ちゃんが出てきたいときに出してやるようにする位のことで済むんじゃないかと、2度(都合3人)のお産で思うようになった。過去、産婦人科では(多分最小限だったとは思うが)「貧血気味だから鉄剤を」「お腹が張らない薬を」「子宮口が固いのでやわらかくするための注射を」産む時はやはり「少量ですが促進剤の点滴を」と、結局けっこうイジられてしまっている。今回は極力自然に任せたい。 それにしても、毎日時間に追われているうちに11週になっているとは〜!これって「妊娠3ヶ月です」って意味なんですけど…。さすがにまだ母子手帳ないってのも…まいっか。 |
ricoは熱から激しいセキの症状が続き、ずっと学校を休まざるを得なかった。小児科で出される薬のほか、毎日2回くらい“Vックスヴェポラッブ”をぬりぬり(これコドモの頃から憧れてたのよね〜A田飴水飴とともに)して、やさしくしてあげた(つもりだ)。で、本日ようやく学校に復帰。 私とamiちゃんもようやく晴れてBB団に出席できて、めでたしめでたし。関係ないけど、パパに義理チョコも用意したし、めでたしめでたし。 |
当主が「たまにはハネを伸ばして三軒茶屋までおつかいに行かないか」と言い出してくれて、ありがたく一人でおでかけをする。 おつかいの内容は「三軒茶屋のディスカウント酒屋で破格安値のSントリー角瓶を購入する」というもの。しかし、その酒屋の場所がこれまた魅力的な、やたらごちゃごちゃと色んな店のある商店街。オシャレな輸入雑貨店(たいていエスニック小物があって強力な磁場がある)から、7年前来たときより店舗が拡大しているコドモ服リサイクルショップ、独り暮らしにグーな品揃えの100円均一屋、どこかの倉庫の倒産セールなどなど、素通りできないポイント多数につき、なかなか店に着かない。また、用が済んでも、なかなか駅にたどり着けないのであった。 また行かせてほしいなあ〜〜。 |
chicaの熱は一晩で下がってしまった。やれやれ。ところが、よしそれならと当主が2人を夜のライヴに連れて行ってしまったことから(多分そのセイ)、今度はricoが高熱を発する。 なにしろ帰り道、雨に降られたその寒〜い中を駅から歩いて帰ってきたらしい。「タクシー乗って良かったのに」と言うと「乗り場はたくさん並んでたから」「歩きながら寒がっていたのでオンブしてあげたんだ」などと…言い訳をする当主。電車が着く前に電話くれれば迎えにだって行けたのに! しかし、当主を責めてもricoの熱が下がるわけではないのでガマンした私であった。 |
すっかり全員調子を取り戻したかに見えていた今日この頃、朝いきなりchicaが発熱。ううう〜ん、また学校を休むのか。給食が揚げパンでなかったのが不幸中の幸い※。 ※給食が揚げパンだと、病欠してそれを食べ損ねた人間が悔しがって、大騒ぎになるから… |
実は23日(木)、今度はricoが学校で吐くという事件が起こっていた。このときはchicaの担任の先生の車で送ってもらって家に帰る始末。恐縮です。 それ以後は持ち直し、みんな直って元気になった!!かと思ったのも束の間、一昨日(1/29)の朝、ricoがまた微熱があり頭痛を訴えるので、学校を休ませた。かかりつけの小児科に行くのに家に置いて行くわけにいかないし、とamiちゃんを抱き上げるとアツ〜イ!今度はamiちゃんが発熱だ! ということで、amiちゃんもあわせて小児科へ連れていく。 amiちゃんを診た先生いわく「この状態ではすぐにインフルエンザに感染する恐れがある(まだそうではないらしい)ので、脳炎を予防する注射を打とうと思うがどうしましょうか」。わざわざどうするかと確認してくる、ということは、多少副反応などの恐れがある注射なのかなと思った。が、今時期インフルエンザ脳症の方がコワイので、結局カワイイお尻にお注射。そして「夜になったらいったん熱がかなり上がると思われます」との予言通り夜かなりの高熱になった…。 そしてとうとう3人ともが発熱。昨日は某K通信の印刷発送に行きたかったがパス。当然今日の自主保育はお休み。明日は明日で、珍しくジャズでもラテンでもない親子向けコンサートなんぞに行く予定だったが…残念、断念。 |
相変わらずヘロヘロの私。だが、amiちゃんは元気だ。某BB団のTはらッチが彼女だけを活動に連れ出してくれて、日中一人で静かに休むことができた。感謝。 しかし、amiちゃんたら私がいなくてもゼーンゼン平気で楽しく過ごせちゃったらしい。「預ける方」も「預かる方」もとても助かった。ただ、ちょっとだけガッカリな気持ちがしたのは否めない。 |
結局、私が一番やられてしまった。熱は下がったと思っていたら日曜の夜中に思い切り嘔吐&下痢が始まってしまった。もうヘロヘロ。脱水症状にはスポーツドリンクだ。前住んでた家のご近所のマダム(ちょうど他の用事でお電話をくださった)が差し入れてくれたAクエリアスを枕元に置いて寝込む。 しかも、実は妊娠検査薬で陽性が出ており、下手に薬の飲めない状態だ。 しかし、本日は授業参観だったのに…。姑にワケを話し、代わりに行ってもらった。姑はおじいちゃんの病院に毎日通っている身の上なのに申し訳ないことをしてしまった。あとで義妹が「私が行きたかったなあ」と言っているのを聞く。次からは予め日時を伝えておくことにしましょう。 |
先日、chicaが下校後腹痛を訴え、下痢が始まり、夜には嘔吐もあった。まずい、また全員に伝染る!と思い予定(S沼プール廃止説明会と某住民運動の会合、あと子ども達のピアノ)全てをキャンセルして親子ともども静養する。しかし思いの外、嘔吐下痢の症状は続かず一安心する。とは言いつつも、今度は発熱38.1度、ハナや咳といった他の症状はない(こわ〜)。 しかも、私自身も昨日の昼から熱と頭痛でダウン。某自主保育グループ・BB団は早退させてもらい、amiちゃんだけ夕方kょうこさんに送り届けて頂いくというテイタラク…。 そんなところへ、ちょうどロケの仕事をしていた当主が、余ったロケ弁を沢山もらってきてくれた。お食事の用意をしなくていいのでこれはそうとう助かった。 |
小学校の任意のボランティアで、“朝の読み聞かせ”というのがある。募集があったのがまだ転入前の1学期だったので、つい応募しそこなっていた。ricochicaからは「今日はダレダレちゃんのお母さんが来た」だの「うちのママはいつ来てくれるのか」だの言われては弱っていた。それに、こども達に毎夜絵本を読んでいたが最近すっかりやっていないな〜と思っていた昨今、この日の分を交代して頂けたので、実は少々体調が悪かったのだが頑張って小学校へ出張り、初舞台を踏む。 この頃の小学校、特に低学年は、新聞なんかで学級崩壊を報じられている。絵本なんぞ読んでやって真面目に聞いてくれるのかしらん、1人や2人は集中できない子がいるんではないかしらん、とか思っていたがそんなことは杞憂にすぎなかった。教室に入るまでは騒がしかった子ども達も、「じゃ読むよ〜」と声をかけるとあっという間に周りに集まり、じっと聞き入るではないか。若干のチャチャ入れくらいはあるが、本には書いてないアドリブとか、用意しといたちょっとしたギャグなんかにもちゃーんと反応してくれて感激!やりがいある〜! しかし、朝8時半に教室に入り、15分程のおつとめの後、家にとんぼ返りして9時半には某BB団の集合時間。相当あわただしかった。でも、2年生になったら年度始めからやらせてもらおうっと。 |
いつも公園で過ごす自主保育であるが、本日雨のため、K崎市民プラザの屋内広場での活動。そんなときはチラシや新聞であれこれ作って遊ぶ。これまたオツなものなのだ! こどもたちからの要望があったわけではないのだが、どうしてもカゴが編みたくなってしまい、折込チラシを細く切りさらに細く折り丈夫にして、ちょうど折り紙を入れるのにジャストなサイズ(偶然)のカゴを作ることができた。持ち手は三つ編み。たいそう気に入ってくれたマーくんが、丸めた紙を入れて「リンゴいりませんか〜」なんてやりながら家に持って帰ってしまった。自分の手元には残らなかったけど、なんかとっても満足だ。 |
おじいちゃんの一時外泊のためにレンタルしていたベッド(周囲に手すり用の柵があり、電動で背もたれ部分が上下する、ああいうやつ)が、やっと引き取られていった。やれやれ。使う人のいなくなった空のベッドがあるというのは、とてもサビシイ状態だった。物体としては同じだが、「これから使う人が来るのを待っている空のベッド」があるのとはゼンゼンちがう。 …と、私はそんな感傷に浸っているが、子どもたちにとっては、歌や踊りのステージとして使用され、異様な盛り上がりをする始末であった。 |
以前から気になってはいたが入ったことのない店というのが何軒かある。お正月休みの仕上げに5人で外食してみようということになり、そういう店のひとつが、某国道沿いの「BっくりDンキー」(当主は、この地元にもう30年近く住んでいるが一度も足を運んだことがなかったという)。晴れて初の利用をしてみたが、多分もう一生のうち2度と赴くことはないであろう。 この店はハンバーグステーキ専門のファミリーレストランで、コドモ向けプレート(ハンバーグとゴハン、付け合わせ)などもあり、全体に500〜800円程度のほどよい価格なのであるが、
ただでさえ外食とか美食とかにかける情熱と資金に欠けるワタシが、ますます出不精になってしまうのである。 かといって家での炊事が上達していくかというと、それもないなぁ。 |
おじいちゃんが3泊4日の外泊を終え、病院に戻る日である。 私は、なんということはなく、大勢の食事を作るというだけのことで、おせちや雑煮の用意もナントカできて、家族そろってお正月!という感じであった。問題は姑で、下の世話は言うまでもなく、「寒い、なんとかしろ」「足が痒いからかけ」というような、私やricochicaで済むようなことでも呼びつけられるのである。おじいちゃん本人としては、赤ちゃん等とは違って眠ってばかりということはなく、むしろ覚醒しているのにカラダは自由にならないのだから無理もない。あと、一応嫁である私への配慮とか、遠慮とか羞恥心などが働いているので、私に対してワガママを言ったり怒ったり、下の世話を要求されることはない。それがすべて姑に向けられるのである。 息子や孫などの家族に囲まれて最期までを過ごすのがステキかな、もちろんそう思うのだが、現実的に今回のこの状態がずっと続いたとしたら、おじいちゃんに愛情をかけ続けられるのだろうか。ricochicaが赤ん坊のころ、チョット大変なときも「あと半年経てば夜眠れそうだ」「あと半年たてば歩くようになってラクになる」「とにかく、2人いっぺんに手が離れるハズ!」とか、いつも先を見れば前向きにがんばれたものだ。しかし…。 準備がととのい、ベッドに起こして座らせながら、「また来てくださいね」と声をかけた。そのキモチもウソではない。 |
朝、当主と姑、義妹が病院へ迎えに行き、いよいよ舅(ここからおじいちゃんと表記)が家に到着した。クルマから下ろし、階段を上って庭を通りテラス窓から部屋に上がってもらう。と言っても、おじいちゃんは左半身、腕にも手にも足にも(多分胴体の左半分も)チカラが入らないため、ただ立つことも容易ではない。もちろん自分自身で歩行することなどできない状態だ。当主と義妹の2人がかりで抱え上げ、かなりキツイ作業の末、やっと介護ベッドに落ち着いてもらう。健常者がその状態を想定して右側だけしか使わないで生活してみるのとは、やはり次元が全く違うのだ。チカラがはいらないってことは身体の重みを支えることができないということだ、と初めて気付く私。 当主は正月休みでもうずっと家にいる。子ども達を学校に送り出したり宿題を見る手間もなく、自主保育の方も冬休みとなった。おじいちゃんの移動や世話は当主達に任せ、amiちゃんの相手はricochicaに任せ、私はニワカ大家族(姑、義妹もこの家に寝泊まりする)となった全員分の食事の用意とその他の家事のみに専念することにする。なんとかなる。頑張ろっと。 |
実は舅が10月末に勤務先で倒れ、11月に某大学病院に入院している。入院して数日後に決定的な脳溢血に襲われ、左半身がマヒしてしまった。そう、実は非常にシビアな状況になってきた高澤家である。 自由のきかない身体になってしまったイラダチと、家族と過ごせない寂しさなどで、病院では結構看護士さん達を困らせているらしい。そんな舅に、病院で正月を過ごさせるのはカワイソウ。ということで本日、我が家にレンタル屋から介護用ベッドが到着した。舅の家は手狭なマンションで車椅子の人間には生活しづらく(というか、実質的に生活不可能)、かつ介護ベットを設置するスペースもないため、我が家にお招きすることとしたのだ。 どんな正月になるのか、久しぶりに“ドッキドキドン”。 |
自主保育のグループとKンガルークラブの、合同のクリスマス会。お料理は一品持ち寄り、場所は市民館の和室である。 10時半頃集合してまず最初に飾り付けを作る作業。大きめの段ボール(八百屋からもらった)を組み合わせてツリーを作り、そこに持ち寄った飾り(主にコドモに作らせたもの)を貼ったり吊ったりする、というごくごくローコストなもの。プレゼント交換ももちろんある。大人向け、子供向けを参加する人数分用意していくのだが、双方ともあり合わせのものでOK。だから、前者は「もういらなくなったミニカー」とか「同じくままごと道具」など。後者、私は丁度使ってなかったハンドタオルがあったのでそれにリボンをかけていったのだが、中にはお歳暮の油とか非常食セットなどあり、かなりバラエティに富んだ品揃えであった。 ひとしきり食べたら、いよいよ演目である。「サンタが街にやって来る」を2声コーラスにした譜面(夕べ慌てて書き上げた)を配り、みんなで歌う。というか歌わせた、というか…。次に某自主保育グループのお母さんらによるシンクロナイズドスイミング。これにはオトナ達大喜び。そしてK村Mり子氏によるパネルシアター。こちらにはコドモたち大喜び。…と楽しい時間はあっという間に過ぎていった。 今までもコドモをダシに何度もクリスマスをやってきたものだが、「子どもがいるから準備がたいへん」と思い過ぎていたり、「クリスマスだからケーキとチキンが必要、あ、ツリーもキレイに飾ってないと」と緊張しすぎ、また「プレゼント交換は500円以内で」(→新しいモノを買うことしか考えてない)従って後になって「高すぎた、いや安すぎた」なんて声が漏れ聞こえてちょっとムムムだったりした。もちろん、出し物など…考えつきもしなかった。 多少の手間はかかったが、今回は非常に安上がりかつキモチよく盛り上がれた、今までで1、2を争う楽しいパーティーだった。手間をかける、というのは(もちろんできる範囲でね)何倍も楽しいものであるなあ〜と改めて思うのであった。 |
今日のプログラムはちいくれん(地域で子育てを考えよう連絡会)とKンガルークラブ合同企画で行う、“あそぼうパン”というもの。私は初体験にもかかわらずパン生地を作っていく係にチャレンジすることにした。 まず焚き火をおこす。何度か使った形跡のある竹が多量に用意されており(一体だれが保管しておいてくれているのでしょうか、コレを読んで思い当たる方はご一報をください。感謝の気持ちを伝えたいデス)、その先っぽにパン生地を伸ばしながら巻き付けて、直火にかざす。あとは焦げないように慎重にまわしながら、中まで火が通るまでじっとガマン。ベタベタしていた生地がすっかりパリパリになり、竹ヤリから“スポッ”とぬけたら出来上がりの合図だ。 火に近づけすぎるとただ焦げて中は生だし、遠いとガマンし続けることになる。焼けていないのにちょくちょく手元にとっては「まだかなあ〜」と、確認と称して半ナマをかじっている私は、短気で根気がないことが判明。ホンの3歳や4歳の子ども達の方が、よっぽど気長に根気強く、焼けるまで待っているのであった。 |
玄関、そしてそこから洗面所や台所に続く廊下の床、&洗面所の床に、入居当時から何ヶ所か危ない場所があった。買う前に何度か来て歩いてるはずなのに、ちっとも気付かなかったのだ。床材が弱くなって今にも抜けそう度が高くなってきている。けが人がでるといけないので、床の張り替え工事を敢行することにした。 今日はその工事当日。張り替え、というより正確には新しいフローリングを重ね貼りするもので、床の高さが18ミリUPする。洗面所も、コンパネを張ってその上にコーティングした床材を張る。あと、玄関の上がりかまちなどもあわせて上からかぶせる。コレだけの工事なので1日で終了。 うう〜ん、キレイだ。少しでも汚れると(ハダシで歩いたあとなど)すぐさま拭き掃除したくなる。壁や天井の古さが目立つということはあるものの、床がキレイだとこんなに気分がちがうのか〜、家中ゼンブやりたいよなあ。 しかし!たったこれだけのリフォームでも、先日のシロアリと同じくらい費用がかかった。家中なんて到底ムリだ。加えて、ゼンブこの様にキレイになったら、子どもが何かをこぼしたり、おもらししたり、オモチャで傷を付けたりするたびに生きた心地がしないことは間違いない。廊下だから足跡程度ですむが、部屋となるとそうはいくまい。やはりちっさい子どもがいる家はボロ家が良いのじゃ〜! |
我が家自慢の四輪駆動車90年式テラノ(通年特別タイヤ実装)が6カ月点検中だというのに、いきなりの積雪。amiちゃんとの予定は、K崎市民プラザで自主保育のみんなと遊ぶ、というものだった。が、雪は一向に止みそうにない。そんな中を駅まで徒歩→電車→バスに乗り継ぎは、長靴も防寒着も持っていないamiちゃんを連れてではキツイ。 と、ところが!朝に連絡をとりあったところ、自主保育の他の人たちはあくまで行くことを前提に方法を考えているのでビックリした。確かに雪の中で遊べたら絶対楽しいし、子どもの気持ちや体験を優先に考えるって、こういうことなのかなあ。と思いつつも、イマイチひ弱な私は本日のところは不参加。イマイチひ弱よね…。 |
amiちゃんから始まった嘔吐下痢症、結局子ども達全員に順々にまわった。 amiちゃんは発症した翌日にはもう嘔吐も下痢もなく、医者に行くまでもない状態になり一安心してたら、chicaが始まった。amiちゃんが吐いたホットカーペットのカバーを洗濯し、さて乾いたぞ、と敷き直したばかりの同じ場所にこんどはchicaが…。そしてその翌日はricoも…。 みな発熱はなく、わりに元気なのだが、本日ピアノのおけいこはお休み。先生のところでやってしまっては大変じゃ。 |
amiちゃん、昼間出かけた先でオムツにゆる〜いウンチをしていたが、夜になって食べたモノをおもいっきり戻してしまった。でた!嘔吐下痢症、あるいは“お腹にくる風邪”だ。 夕方じっくりお昼寝してしまった(私も一緒に…) ので、カップラーメンで夕飯にしちゃえ!とカンタンに済ませ、食べたらまたホットカーペットの上で横になって寝てしまったamiちゃん。今にして思えば体力が落ちていたのであろう。珍しくパパが早く帰ってきたその音を聞きつけて、「あっ!ぱぱ!」と飛び起きた途端、枕にしていたクッションの上に先程のラーメンを全て…。 私に伝染るとさらに厄介なことにもなるし、もちろんamiちゃんのためにも今日は一刻も早く休まなきゃ、と9時半には寝てしまうコトに。夜中にも起きて戻したamiちゃん…。ああかわいそうに〜、はやくよくなれ〜。 |
自主保育の日は外でお弁当なのだが、なんせ野外なので冬場はあったかいものが欲しい。そこで、本日はカセットボンベで使えるバーナーでみそ汁を作ることに。 材料は、自分と子どもが食べきれる程度の具を自由に2〜3種類づつ持ち寄ることとした。集まったモノを鍋に放り込むと、人数分以上に具だくさん、しかもいつも自分の家では使わないような具が入った、実に色んなダシの出たおいし〜いみそ汁になるのである。ここに茹でたウドンを入れれば実においし〜いミソうどん。 冬の公園はスッゴク寒いものと思い込んでいたが、かように暖かく過ごせるのである。今日は腰を下ろした場所が、日当たりよく風はあまり当たらない、実にナイスなチョイスであったこともあり、快適であった。野外料理は病みつきになりそうである。 |