身体能力UP中 '04年5月28日(金)

goの進化状況。現在、腹這いのまま移動段階。ゆっくりと右・左とカラダをくねらせて前へ進む様子はとっても優雅。と油断してると、玄関に落ちてしまった!

まさかそんなに移動しているとはつゆおもわず、突然の泣き声に慌てて玄関へ駆けつける…。頭からか、お尻からか、どっちから落ちたのかもわからんが、とにかく可愛く必死に泣いている。

くくく…(泣)。おもしろくなってきたぞ(泣)。

里山保全地域 こどもたちは「公園まだ〜?」 '04年5月25日(火)

M田市のZ師・O野路町という場所の、里山保全地域へ見学に行った。amiちゃんとなかよしのNりかとその母も誘い、2人には“トトロがいそうなひろーいおやまに行こう”などと説明して、いつもどおり弁当持って出発。いつもとちがうのは、一緒のくるまに町会長さんやらだれやらおじさん(おじいさん?)たちも乗っているということだ。

1時間くらいかかったろうか、気づくとかなり山深い場所という感じだ。資材置き場みたいなところの道ばたに車を止め、何度か来て、今回もアポをとってくれているT屋さんの案内で、竹やぶの間の細い舗装道路を登っていく。やがて歴環協会のT極さんのお宅に到着。源平のころからの古いお家柄で、何百年もの間この土地で農業を営んでいるお宅だが、減反政策で田畑が荒れてしまったこと、行政が買い上げて公園等にしてしまっては植生がかわってしまう上に自分たちも仕事を失ってしまうこと、それでかなりの運動をしたこと、もとのような水田にもどすのに10年かかったこと、etc.…どうやら詳しい事情を説明して共感してもらわないことには保全区域に入ってほしくなさそうな様子であった。

こどもらはもちろん説明などすぐ飽きちゃって、ほとんどお庭で遊ばせてもらっていた。でもこのお庭というのが、むかしの農家のお庭なのである。そこらをシャベルで掘ってもオッケー、なんかの廃材が積んであるのを使ってもオッケー。みんなのおうちがこうなら、別に公園なんか行く必要ないぞ。で、やっと「ご案内しましょう」と言ってもらい、山に分け入り、ケモノ道みたいなところを通り抜けて、谷戸に作ってある田んぼを見せてもらい、その途中で木の実をとって食べさせてもらったり…。ところが、こどもたちとしては“トトロの公園”に行くつもりになっているので「公園はまだか」とうるさい。歩くことや景色をみることを楽しむってかんじではないのじゃ。うう〜ん、母親のブランディング不足もあるが、やっぱり異世代交流というのは言うは易し行うは難しだ。それに、私の小さいときはまだ、このような農地&裏山&あぜ道&田んぼに水をひく小川(もちろんザリガニつき)などが遊び場だった。今の子どもにとっては、“他人の土地だから立入禁止”の場所。3〜4歳で“遊び場=公園”という観念ができてしまっていることを再認識した。

さようならダニーさん '04年5月21日(金)

昨年夏に義父が逝き、3月に先生が逝き、こんどはDニーさんが逝ってしまった。

お孫さんがいつものように訪ねていったところ、いつも腰掛けているソファーに座って居眠りしている状態で息をしていなかった、という往生だったらしい。なんと、ダンディーな終わり方!

本日は告別式ということで、当主は会社を休み、私もちょうど抜けなのでamiちゃんはB.B.に(送りに行くと遅れてしまうので連れていってさえもらう)。ricochicaはこの日遠足の予定なので、ダニーさんにお別れをしに行きたい、でも遠足にも行きたい、と迷ったあげく、結局遠足を取った。そのため、私はこどもたち3人分の弁当づくりをしなければならなくなった。自分の身支度だけでもテンパるところなのに!

焼香のあいだ、ダニー宅の常連を代表するスタジオミュージシャンのPッカー氏が、日本屈指のラテンピアノ・モントゥーノ弾きであるM村献氏らといっしょに静かに“ダニーボーイ”などを演奏している。こんな豪華な演奏つきの葬式など見たことがない。…けど、親族の人はみんな泣き崩れているような状態なので、ちょっとどうだったかなあ、という感じだ。そりゃあ、ダニーさん自身は、湿っぽい葬式はキライだろう。でも今回の場合、遺族にしてみればなんの心の準備もできていないところへ 突然のこと。親戚でも何でもない私ですら、式のあいだ中涙が止まらなかったくらいなんだから…。

ところでricochicaがでかけた遠足の方は、せっかく晴れたのに昨日の雨で地面がぬかるんでいるため延期になったそうだ。コラッ!小学校!そのくらい何だっていうのじゃ!!

スピードアップ! '04年5月18日(火)

goのほふく前進がどんどん上手になり、突然「え、こんなトコに?!」という場所にいたりして。まだお腹を床にくっつけたまま移動するので、おなかにゾーキンを縫いつけておこうかしらと思うくらい、おなか部分が汚れるのだった。これがハイハイになったら、外でも放し飼い(?)にできるのだがなあ。

2人でなら その2 '04年5月14日(金)

こんどはricochicaだけで電車を乗り継いで、またまた私たちの居る子ども夢パークへ来させることに!

先日↓に増して、もう2時過ぎくらいから気もそぞろのわたし。(だいじょうぶ、一緒に電車で来たことあるし、子どもだけで電車乗ってAざみ野も、M崎台も行ったことあるし、乗り換えはなん番線、とかじゃなくて、T川方面ってほうに乗りなさいね、と教えたから間違えることはないだろうし…、それになにより、2人でなら大丈夫!)と自分に言い聞かせつつ。

そして、例によってシロツメクサの花輪作りにいそしんだ。まだ咲いていて良かったあ。
もちろん、2人も無事に到着。こっちも良かったあ。

2人でなら '04年5月12日(水)

ricochicaが、学校から帰って荷物を家に置いて、私たちが居るA馬ふるさと公園まで歩いてやって来た。正直言ってすんごい不安であったが、もう3年生だから絶対だいじょうぶ!と自分に言い聞かせるようにして到着を待っていた。

考えてみれば、A馬ふるさと公園のもちっと先にA馬中学というのがあるが、この中学は我らがS沼も学区なので、中学生レベルにはかるく徒歩圏なのである。amiちゃんだってもう歩いて行けちゃう。でも道に迷っていないかしら、痴漢とかに遭ってないかしら、と心配すればキリがないのだ。

だから、ふるさと公園の斜面になってる森の上の方から2人が「まま〜!」とか言いながら駆け下りてくるのが見えたときはほんっとに感動。これ、ひとりで来られたらもっとスゴイなあ…ひとりじゃ来られないかなあ…私の方がやらせられないかも…。

こんな夜泣きは生まれて初めて '04年5月7日(金)

go、いつもならおふろのあとおっぱい飲んでコケッと眠ってしまうのに、今日に限ってぜんぜんダメ。眠らないってだけならいいのだが、残念なことに「泣き続ける」のだ。しばらく立ち抱っこしてゆすってやり、またチチをくわえさせても、同じ。泣きやまない。投げ捨てたいよう〜!と彼を産んで8ヶ月目にして初めて思う。

何時くらいまで起きてたんだろう。意識がもうろうとして、自分は半分寝てるけど、でも泣き止まないのだ。抱っこして、優しく声をかけて、チチをやって、たのむ泣き止んでくれと懇願して…気づいたらもう朝、いつの間にかスヤスヤとかわいく寝息をたてている息子。その寝顔を見て、「あ〜あのとき投げ捨てなくてほんとによかったあ」と心から思った。

今年の連休もDo It! '04年5月3日(月)

昨年のゴールデンウィークには自宅リビングの壁紙を自分で貼り替え、「もうしばらくはやりたくないなあ」と言っていた当主であるが、その「もうしばらく」が過ぎたらしく、子どもたちの要望に応えて、今年は子ども部屋の壁紙の貼り替えを行うこととなった。

折しも今年のこの連休期には、新しいホームセンターが近くにオープン。さっそくそこで壁紙を買おう、と行く。と!大渋滞ではないか!それも2H以上前から。しかもその渋滞は、そのホームセンターの駐車場待ちの列そのものであった、うわぁ〜〜。こんな列に並び直すのはヤなので、そのすぐ近くのよく買い出しにいくスーパーの駐車場を拝借してそこにクルマを駐め(勿論あとでそのスーパーも利用)、くだんのホームセンターへは歩いて出向く。オープンのためキレイにロットの揃った状態の壁紙売り場でこどもたちの意見も採り入れつつ無事購入!

さて家に戻って。凝り性の夫はその真価を遺憾なく発揮。まずコンセントやスイッチカバーをすべて外す  部屋中の古い壁紙をすべて剥がす  収納の扉や出入口の引き戸などもすべて外し剥がす  前住人がずさんに塗ってたれまくっていたペンキの跡などをすべてキレイに拭き取る  建具の立て付けが悪くなってる部分もあったので、鋸で削ってサンドペーパーで表面を仕上げるなんてこともしている! 一番感心したのは、取り外せなかったエアコンの周囲を、どう見ても新しい上から取り付けたようにしか見えないように仕上げているところだった。うう〜む、ホレなおしちゃうわ〜(なんちゃって)表具屋、左官屋、経師屋などが向いているかも。



シロツメクサの花輪 '04年4月30日(金)

T田山のゆめパーク( K崎市のなかでもとてもいい施設)にいったら、なんとシロツメクサが今花盛り。まさに夢のような光景。これは花輪を編まなければなるまい! ということでさっそく着手。

じぶんが子どもの頃にどう作っていたかは忘れてしまったが、テキトーにリースみたいにしてみたりしてたら、お仲間のT崎さんがお花がキッチリ並んでいくように編んでいく方法を教えてくれた。こういった手仕事はやればやるほど“ここもう少しチカラの入れ方が…”とか、“あっ!そうかこーすればいいのか!”などと盛り上がってしまう。飽きないよねえ。

結局、朝から帰るまで、いったい輪っかを何個つくったやら…。

どんどん悪さを覚えてく '04年4月25日(日)

ハイハイはまだ。なのに、なぜかチョット見ない間にずいぶん移動しているgo。寝返りの連続で場所を換えているのである。部屋中ころがって移動しながら、あらゆるものをいじって=調べて=いるようである。彼の、一日に何度も洗うことはない汗を握ったしゃぶって唾液まみれになったちいさい手が触れた場所は、べとべとした指の跡がついている。実害はないが彼の手の届く範囲はだんだん薄汚れていくのだ。こんなちょっとしたことでも、清潔で豊かな生活かなんかを目指す大人にとっては悪さってかんじ。

そして、やっぱり突発疹は別名:知恵熱。確実にステージが上がったようだ。

ゲッ!39°? '04年4月21日(水)

うおっコリャ大変。goが熱い。こんな高熱は生まれて初めて。2〜3日後に下がってブツブツが出て終わるヤツ(突発性発疹)だと心配ないんだけどぉぉぉぉ。

さくら舞い散る道を…哀しい事件も起きている '04年4月7日(水)

「T津区で母が小学生の息子を殺害」というニュースが新聞・TVで報道されていた。BB団のメンバーが3家族も住んでいる地域なので、ご近所感がある(ほんとは遠いんだけど…)。

殺害の動機が「塾に行かないから」だというのがショック。かく言う私だって、子どもら(とくにchica)が自分の助言を無視し、言ったとおりにしないときにはしょっちゅうブチ切れているではないか!それこそ紙一重。ひとごとではない。

おりしも満開の桜がハラハラと舞い落ちる、私のだ〜い好きな季節。草花が萌え出づると、なぜか自分にも新しいことが起こりそうな、ワケもなく希望に満ちた気分で桜舞い散る道を…。そうそう、直太郎の歌ではさらば友よ、という設定だが、わたしにとっては桜は新たな出会いへの期待と不安である。そんな季節に…そんなことがあるなんて。

さびしい一夜 '04年4月2日(金)

あ〜私をひとりにしてくれ〜!…と、チビどもに囲まれているこの家の中にいて、常日頃から思っていた。

ところが今夜は3人まとめて実家にお泊まりに行ってしまった。サビシイったらありゃしない!なんだか、体が半分ないみたいなすっごい虚ろな感じ。

本当はひとりじゃなくて、ちゃあんと赤ん坊のgoが残っていていっしょにいるというのに、この静かさ、つまらなさといったら!もう2度と独り暮らしはできない


六本木ヒルズ森タワーは撤退しろ〜!取り壊せ〜! '04年3月30日(火)

回転ドアに挟まれ小学校入学を控えた男の子が亡くなった。それをきっかけに実は32件も回転ドアがらみの事故が起きていたのに隠蔽してたことが発覚したそうじゃないの!おい森ビル、ちょっとこっちきて座んなさい!だから高層ビルや高層マンションはよくないんじゃ!(ん?だから、っていうのはちょっとつながらないか…でも、まいっか)

人間とて一介の生き物であり地球の一部、土から離れて暮らすことはできんのよ。高いところに行きたい人は山に登ればいいんじゃないのかしら。尚、私は2階より高いところに住んだことがない。だって、高いところは怖いじゃあないですか!!

先生亡くなる '04年3月27日(土)

朝9時ごろ、先生が入院先の病院でお亡くなりになったという報せがクラスの連絡網で届けられた。

実は、学期終わり近くに特別にもう一度懇談会があり、その時に校長から説明があった。“依然、予断を許さぬ状況です”と。

3月8日の欄に書いたが)倒れる現場に遭遇してしまった私(たち)は、いつ何時も先生のことが心をふさいでいる状態で3週間を過ごしてきた。多分、先生が最期に会ったのはわたしたち。まだ小学生である先生ご自身のお子さんたちでなく…。それを考えると胸が張り裂けそう。それに、わたしといくつも年齢がかわらないのもショック。死などはるか先のできごとだと、いつまでも生きられるような気にさえなっている自分にあらためて気づく。

先生、さようなら。ご冥福をお祈りします。

卒だん式 '04年3月25日(木)

いまいちな天気ながら雨には降られずにすんだ本日、B.B.だん第1期生たちの卒“だん”式をおこなう。私は3・4月の月当番なのと、この卒だん式の係になっているため連日なんだか気分的に大忙しだった。なんたって、第1期、第1回だし。あったかい食べモノが必要なのと、いつものお食事にはないようなウレシイ甘いモノが必要なのと、いつもの活動ではあんまりやらないみんなで一緒に歌うたったりもしたいし、記念品の贈呈もしたいし、“卒だん証”も授与したいものだし…。

あったかい食べモノはもちよった材料でコンソメトマトスープをつくり、ウレシイ甘いモノは卒だん生たちがフルーツポンチをつくってくれる(と一口で言うほど楽ではないのだが、とにかく果物を山盛り切ってサイダーの中に入れる、潔癖性の人は食べられないかも)。うたは、こっぱずかしいことに私のへたなギター(寒いので手がかじかみヒドイことに)の伴奏で。記念品はみんなからの写真&メッセージをミニアルバムにはさみ、それをトレードマークのブルーの迷彩柄でつくった写真立てと一体にしたものなど。今日渡したものの、全員分のメッセージは入りきっていないのであった。卒だん証は、前日の夕方完成したばかりの忍者のまきもの風(うちにとっといてあったFAXロール紙の芯、麻ヒモ、木の枝などでつくった)。

夜はラッキーなことに打ち上げができた。いったん帰宅してから、“行ける人だけでもS沼のS木屋に集合”ということになったので、goにたっぷりチチを与えておいて私だけいかせてもらったという…。一日つきあってくれた夫に感謝。

なんとか無事すんだそのウラには、春先の不安定な気候のなか体調を崩し寝込む者もあれば、活動を巡る見解の相違などで何度も話し合いを重ねる場もあれば、“ひーー、こんなギリギリになっていうなよ〜”と思いながらもやってみたらできてしまうすごいコンセントレーションを体験するなど、いろいろなことがあった…(しみじみ)。

里山を守る会 '04年3月19日(金)

BB団で気に入っている公園は、グラウンドと遊具と、平地の森と、森の斜面をそのまま保存した部分とがある。どこで遊んでも楽しいが、この森の斜面がサイコーで、落ち葉が降り積もれば自然の滑り台になるし、崖登りしたり、折れ枝で家(←巣に近いが)をつくったり、落ち葉の絨毯でお昼寝だってできる。秋はドングリも思い切り落ちてるし、夏なんかアスファルトの道路と体感温度がかなり違って涼しく感じ、冬の日だまりはあったか〜、なのだ。

ところが、この滑り台にしたり崖登りしたりのせいなのか、斜面の土がかた〜くなって草が生えなくなっており、高木の根っこなんかもだんだんむき出しになってきている。雨が降ると、このむき出しの斜面の土の上を流れ落ちるためにその状態がどんどんひどくなる。貴重な緑が失われる危機ではないか?ということで、この公園の近所に住む有志の方たちが里山の保全にならってこの緑を守る会をつくろうではないか、ということになった。ひいては、ここをよく利用するこどもたちも仲間に入らないか、と発起人に参入することをすすめられる。今日はその会の人たちと役所の公園事務所の役人が来て現地の調査をするというので、goを抱っこして参加。

実は、昨秋より遊具の改修計画などにBBとして顔を出していたのが、goを生んだばかりで当番に入っていなかった私。行きがかり上、またしても“地域住民活動”を手伝うハメになった。今度は場所が家から遠いので、ちょっとツライかも…。でも、野外で遊ばせたいわたしたち、少なくとも「公園では遊具以外の場所で遊ばないこと」などという看板でも立ったら大変なのじゃ。どうにか地元の人と折り合いを付けられるようにしておきたいので、ここは頑張った方がよかろう。

chica、ゴメン! '04年3月15日(月)

ついカッとなってしまい、chicaを投げ飛ばしてしまった。ヒザを打ったらしく少々出血し、ホータイを巻く。ああ、またやってしまったよう。

キッカケは、折り鶴。入院している先生に千羽鶴を贈ろう、とricoちゃんのクラスで始った。chicaちゃんも手伝って折ってあげてるのは結構なのだが、どれもなんかヘロい。よおく見ると、くちばし&尾になるところと羽根になるところが逆なので、羽根がピッと上を向かず左右に倒れてしまうのだ。「chicaちゃん、間違ってますよ、直そうよ」と大変優しく声をかけると、本人“間違っている”ということに瞬時にパニック状態に陥る。し、しまった。一つを手にして「ほら、ここ見てごらん」と示すと、「いい、自分で直すから!」と私からひったくってムキになっていじり出す。「だって、ricoちゃんに教わったとおりにやったもん!」この辺からもう泣き叫びながら「ricoちゃんのバカ!ウソ教えた!」もう折り鶴はヨレヨレ。私極力やさしく「よおく見比べてごらんよ」chica「どこも間違ってないモン!」私さらにやさしく「よく見なよ」などを繰り返すウチに、耐えられず私ブチッ。

ちゃんと自分で見て調べたらどーなの、ラクすることばっか考えるな、違ってたらどこが違うのかよく見てすぐ直せば次から間違えないでしょ、はじめから上手くいくより確実に身につくでしょ、人の言うこと謙虚に聞きなさい」などと正論を言い聞かせてもダメなのはわかっているのに、思いっきり言って(どなって)しまった。叱るときの文句が正しいほど、こどもは聞かなくなるのよね。“この人には安心してものが言えない”と思わせるだけであろうことは明らかなのに、なのに言わずにおれんダメな私。

chicaちゃん、ゴメン!!!

生まれて初めて進学塾に '04年3月13日(土)

とある進学塾の新聞の折込チラシで「学力コンクール、参加費無料」というのを見つけた。ま、どーせその成績なんぞをみながら「お子さんはここを伸ばせばイケル、中学受験しないと惜しいですよ」とか何とか、結局入塾を促すための催しに決まっているが、コドモらに聞いてみたところ、受けてみたいとケッコウ乗り気。実ゆーと親の私として、塾に通わすつもりはゼンッゼンないけど、どの位学力があるのかは知りたいなとは思っていた。ricochicaも多分に同じ思いであったようだ。あれで自分たちは勉強できる方だと思ってたりするから。知りたいんだろうねえ。できない方かもという消極的な自覚があったら絶対やる気はでないはずだから(だって過酷な現実を見るのは、いやだもんね)。

そういうわけで、2駅ほど離れたところにあるその塾に2人を放り込んだ。「お子さんが試験の間、保護者のかたはこちらで説明をお聞き下さい」と言われたのだが、「すみませんがドウシテモ外せない用事があるので、終わった頃迎えに来ます」と言って私だけすたこら帰ってきてしまう。

そして、終わった頃パパに迎えに行ってもらい、頑張ったごほうびと称してその足で映画館に連れて行ってもらい、Wンピースの新作映画を観せてもらう。映画館に(まだ怖がったり泣いたりするため)連れていけないamiちゃんには「おねえタンたちはお勉強で遅くなってるんだよ」と言ってごまかすこともできた。

ほんとにバブバブ言うのね '04年3月9日(火)

goが急に声を発するようになった。これがまた、マンガとかにあるとおり「ばぶー」なので、とーてもカワイイ。それもひとことでなく「ばーぶーばー…ぶー」などと何度か繰り返すので、なんともなしに何やら伝えようとしているようにも見える。あ〜かわいいよう〜(気のせいかamiのときより、よりいっそう親バカ)。

先生倒れ救急車 '04年3月8日(月)

先週の金曜日に全校的にクラス懇談会があったのだが、ricoのクラスだけ先生の都合で、月曜である本日に行われた。のであるが…。きょうは私の都合で日程をずらしてもらってもうしわけありませんでしたさてはじめましょうか、…ていうような挨拶があったようななかったような…。そう始まってすぐ、漢字のドリルにみんな楽しく取り組んでいる話しをしているときだった。先生が「あ、ちょっとすみません…」と顔をゆがめたかと思うと、ガタガタガタッと音をたてて床に崩れ落ちてしまった。私はといえばその瞬間ちょっとgoの顔などをよそ見していたものだから、お顔をゆがめたところの次に見たのは床に横たわっているシーンだ。

急いで救急車を呼び、その間先生に呼びかけたり舌をかまないようにハンカチをくわえさせたり、居合わせたお母さんたちでかなりの対応をしたと思う。校長や副校長、学年主任の先生などもみな駆けつけてきたが、「先生にはなにか持病があったのではないか」と聞いても「全く知らない」…。ほどなく救急車が到着(すごく早かった)して、運び込まれたものの、なかなか走り出さず皆イライラ。搬送先を探していると思われるこの時間の長かったこと…。

向かいのマンションに住むT中さんと一緒に帰路に着いたが、あまりのショックに2人とも一言たりとも会話を交わせずに家に到着してしまった。

生まれて初めての '04年3月3日(水)

生まれて初めて、固形ぽいウンチが出た。これまで母乳のみゆえオール水様便だったgoのうんちが少し進化したのである。あ、そういや今日で満6ヶ月。え、まだ6ヶ月しか存在していないなんて、考えられない!

子どもの頃読んだ“鬼子母神”は、自分に100人の子どもがおりながらお釈迦様に一人連れていかれただけでも胸が張り裂けんばかりに苦しみ、それまで人の子を平気で食っていた自分を悔い改めた、とのことである。我が家の鬼子母神(わたし)も、4人のうちダレがいなくなっても生きてはいけない。

バナナ3分の1 '04年3月1日(月)

goはもうすぐ満6ヶ月。育児書だの育児雑誌だのを見ると、離乳食中期ということになっているのだが、まだオッパイ以外のものはあまり口にしていない。私の体から分泌される液体のみで生きている、のみならずちゃあんと育っているのがスゴイ!

こどもが体の中で勝手に育ったり生まれ出てくることも、こうして育っていくことも神秘だわ…もしかして前回も(ふたごのときは少々ムリだったとしても)粉ミルクなど与えなくても十分育ったのではないだろうか?実母は「母乳だけでは栄養不足だ」や「こんなに痩せて目ばっかり大きいのでは心身ともに育っているのかどうか心配だ」などと言いつつどんどんミルクを作って飲ませてくれちゃったので、amiちゃんはgoの半分も母乳を飲んでいない。ああ、惜しいことをしたなあ。amiちゃんの目は痩せてるからじゃなくて、単にとても大きいのである。

わたしとしてはこの自分のチチ汁だけでずっと育って欲しいものだが、現実としてはだんだんに普通に食事がとれるようにならんと困るわけなので、そろそろ離乳食をはじめましょう。というわけで3日前より一口二口とバナナを与え始めた。本日4日目にしてけっこう普通のバナナを1/3くらいはぺろりと食べてしまったぞ。こりゃあ、本人待ちわびていたのかもしれん。

 

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