夫が歩いて帰ってきた '03年11月29日(土)

明るいウチはポツポツきていた雨が、夜半にはどしゃ降りに。珍しく子どもと一緒に寝ずにすんだ私は台所を片づけパソコンに向かったりしていた。「(←夕方から会社の人の結婚披露パーティーに出かけていった)はまだ帰らんのかいなあ」と思いはじめたその時、濡れそぼった夫が帰宅。深夜2時をまわっていた。

例によって酔って終電を乗り越し、3駅先まで行ってしまったらしい。以前ならタクシーに乗るか、私に迎えに呼ぶか(子どもが生まれてからは無いが)なのだが、今夜は約50分間を費やして徒歩で帰ってきたらしい。今の家に引っ越してからは、お世話になる行政庁がその「3駅先」にあるため何度か行き慣れている。道勘があるから歩いてみようと思ったそうだ。前の住まいにいるころだったら、3駅先などはるか彼方に思えたものだが…。

前の家と今の家はほんの500メートルくらいしか離れていないのに。 慣れとはバカにできないものだ。

初めてのピアノ発表会 '03年11月23日(日)

ricochicaがステージにのぼることになった。自分もちいさい時からピアノを習っていたが、発表会をやってくれる先生ではなかった(=近所の高校生や音大生に教わっていた)ので、私自身こういう発表会って初めて!

先生へのお礼っていうのが必要かな、と同い年のM香ちゃんのお母さんに相談し、それぞれ適当と思われる大きさの花束を渡すことに。あと、おばあちゃんと義妹を呼び、それぞれに小さめの花束を託し、ricochica演奏修了後に進呈してもらう(ヤラセ)。前述のM香ちゃんのおともだちが何人かみえており、その中のY奈ちゃんが気を利かせてricochicaの分の花束も持ってきてくれた。うれしい〜!ありがと〜!

しかし、クラシックのコンサートに行ったことがないのでこんな「演奏中セキひとつ聞こえず、静かに拝聴」という雰囲気は初めてである。演奏に応じて掛け声をかけたり踊ったり、疲れたら飲み物のんだり食べたりと自由にするのが当たり前になっていた我々には、非常に新鮮な体験であった。尚、その間もあかちゃんにチチをくわえさせているという…。

フツーの家庭っぽくドライブ '03年11月16日(日)

ここのところ、まったく娯楽としての遠出をしていない。 新しいクルマで、ちいっとばかり遠出をしたくなった夫が、Jヶ島行きを提案。そこで、がんばっておにぎりを沢山つくり、地図(カーナビごときに連れていってもらうのは屈辱だと思っているので)を持って出発!

折しもカーラジオでは、発売されたばかりのビートルズ『 Let it beネイキッド』がかかっている。ここのところchicaちゃんの言動に悩まされ“く〜〜!どうにかならんのか〜!”と思っている私に 、女神が賢い言葉を囁く…「そのままにしておけ」…そうか、そのままにしておけばいいのか。

秋晴れの爽やかな空に、普段の悩みがすう〜っと消えていくよう。やっぱりたまにはドライブもいいね。と、その間もあかちゃんにチチをくわえさせているという…。ミルクの用意がいらないと、おでかけするのが楽チンじゃ。

慰謝料はらってもらいます '03年11月10日(頃)

最近ricochicaは某TV局の『行列のできる法律相談所』に凝っている。ちょっとしたことで、すぐ「なにすんのよ!慰謝料払ってもらいます!」とか言うのである。私に叱られて「うう、ままにより私の心はキズついた、慰謝料払え」などと正しく使えており感心するやら、感心してる場合じゃないやら。

オムツ洗濯からの開放 '03年11月6日(頃)

ここのところ急にウンチの回数が減り、1日に1回で済むようになってきた(あ、赤ちゃんの話ですよ)。

そうすると、紙オムツの威力が発揮されはじめる。オシッコ2〜3回は何の問題もなく吸収されるし、よほど体勢が悪くない限りウンチがオムツの外に漏れ出すこともない。外出時の荷物も気苦労も減るし、夜のオムツ替えも減るし、なんといっても毎日20枚以上あった洗濯物がなくなるのじゃ!!

まるで洗剤のコマーシャルのように青空におどるたくさんのオムツ(結構さわやか)が、見られなくなるのはちょっと残念ですが。

中学のバザーで飲み食い '03年11月2日(日)

町内会の回覧と小学校からのおたよりで、ricochicaがいずれ進学する近くの中学校でバザーがあると知る。さっそく家族みんなで押しかけることにする。正確にはPTA祭というものらしい。隔年で文化祭と交互に行われているそうだ。ふ〜ん、文化祭毎年やらないのね。私はバザーでタオルやシーツ、こども服、子供向け図書などを目的に考えているのだが、子ども達はとにかく食い物。ヤキソバだカップラーメンだケーキだジュースだと、メニューの全てを網羅したいらしい。浅ましいことだ。ブラバンの演奏くらい聞いてもいいんじゃない?

私の方の主な戦利品は、ricochica用のバスタオル。ヨーグルトや果物を食すときに使用するのに手頃なガラスの鉢8ケ、だけ。ほか特に特筆すべきバザー品はなかった。残念。めぼしいものは売れちゃったのかな。なにしろ番号札配布しての入れ替え制であり、もうすでに昼をまわってからやっと番になったのだからしかたないかもしれない。あと、ジャンケンで勝ち抜いた人に賞品、というゲームで、残念賞として鉛筆を大量ゲットする。これは助かるぞ〜、可愛い鉛筆でないのが微妙だけど。

さて、この間goくんはパパにより最新式多機能抱っこヒモにて初の縦抱きにされていた。新生児のうちから横抱きにすることもできる見た目もオシャレなレンタル品。ricochicaのころには売られていなかった。まだやわやわしてて抱くのにチカラのいる新生児を持って歩くのに重宝した。が、首がすわってきたのでもう縦抱きで差し支えない。ああ、大きくなってしまうのね〜(涙)。


新しいクルマ、さっそく '03年10月20日(月)

amiちゃんを迎えに行ったその足で、1歳上のnoriぽんを一緒に連れ帰り家で一時預かる。夕方、ricochicaのピアノの送り迎えに出かけた後、こども全員を乗せたまま、noriぽんをおウチまでお送りした。今度のクルマだと、ウチの4人の子らを乗せたうえに、お客さんっ子がまだのれちゃうのであった!運転席の私と2人の小学生、2人の幼児は一番後ろの席、赤ちゃんがベビーシート、まだまだ余裕よ。とくに三列目は少々狭いのだけどそこがまたヒミツっぽくていいらしく、チビどもは大喜びしてる。

noriぽんの家に着いた頃、その2人が静かだな、と思うとぐっすり寝込んでいた。で、後ろのハッチバックを開けてシートを最大限にリクライニングして寝たまま降ろしたりして。我が家の新車はさっそくに威力を発揮。あんなに名残惜しんだ前のクルマのことを忘れてしまいそうだ。

新しいクルマいらっしゃ〜い '03年10月18日(土)

家族が増え、今までのクルマの法定乗車定員を、ついに超えることになってしまった。

ということで出産前から中古自動車屋さんに買い換えたい希望車種を探してもらっていた(新車購入は資金的にむずかしいことがわかったので…)のだが、色もグレードも希望に見合う車種が見つかり、それがいよいよ本日納車された。憧れの3列シートのミニバン。最近、石を投げればこの車に当たりそうな程、そこら中を走っている車種である。わたしら夫婦としては、その点だけがちいっとばかり不本意であるが、それはいたしかたがない。

前の車は、四輪駆動ながらマチ乗りもイケテル、という感じで、しかも乗ってる人がほどほどに少なかった。今はすでに生産されていない車種。ふたごが産まれた時点で既に定員いっぱいいっぱいだったので、正直言って私としてはその時点で乗り換えたかった。オフロード四駆(巷では“クロカン”とも称される)車なので車高が高く、運転する時はキモチよいが、赤ん坊を乗せおろしするのに大変めんどうだった。しかも、それなりに大きい車なのに、ウチのふたごを乗せたらもう後列は終わり。まったく人員収容力がない。まわりのふたご持ちの家庭では、もう3列シートで7〜8人乗れるものに買い換えていくのが当たり前だったので、3列ミニバン車こそが私にとって“憧れ”だった。

それでも、夫が大切に大切に可愛がっているし、使い勝手が多少悪くてもこれに乗ってる自分もカッコよくなる感じ(幻想)がするし、なにより結婚する前からの想い出も沢山あった。前述のとおり双子出産を機に買い換えていれば思い入れも少なかったのだろうが、多少不平を感じながらもこれまでつきあってしまった相手であり、乗り続けているうちに愛着がわいてきてしまったのだ。自動車なのに家族の一員となってしまっていて、手放すのが辛かった。90年式だからね。13年もお世話になってたのよね。

今度のクルマは、このくらいずっと乗り続けられるかな?

早く大人になりたい '03年10月14日(火)

そして早く死んでしまいたい、とこんどはchicaが。おいおい、最近きみたちどうしちゃったの?私が赤ちゃんにかかりきりでサビシイのかしらん。

ちいさいモモちゃん再び '03年10月13日(月)

amiちゃんが生まれた頃に毎晩読んでいたちいさいモモちゃんの本を、いままた寝る前に読ませられるようになった。「モモちゃんがうまれたのはなつでした」と赤ちゃんが生まれるところから始まる本だ。私も懐かしかったけど、こどもらも読みたい気分だったのだろう。

『ちいさいモモちゃん』、『モモちゃんとプー』、『モモちゃんとアカネちゃん』、『ちいさいアカネちゃん』、『アカネちゃんとお客さんのパパ』、『アカネちゃんのなみだの海』…で終わりだったかな、なんかもう一冊あったかな。最初の2冊が、パパの本棚にあった(=パパが子供の頃に読んでいたのをずっと保管しておいた)もの。その続きは図書館で見つけて読んだ。購入も考えたが、版を重ねるあいだに挿し絵の位置、挿し絵そのものも変わっていたり、表紙とカラーページになっているモモちゃんのお人形が昔のとビミョーにちがうので、買いたくないのである。

みこしだワッショイ '03年10月12日(日)

子ども会の大きな行事、神社のお祭りの日である。とはいえ私は例によって産褥中の身。見物に行くのもひかえて小さい子たちと留守番とする。夫とねーちゃん2人でおみこしを担ぎに朝から出ばっていった。

夫に聞いたところ、たいそう長い距離を交代で担いでまわり、そこここで休憩をとる。そのたびごとに、商店街やらなにやらから、お菓子だの焼き鳥だの握り飯だの差し入れの食べ物がいただける(大人にはふるまい酒がふんだんに出される)。今の家を買ったときの仲介をしてくれた地元の不動産屋さんからも、豪華な差し入れがあったそうだ。そして、隣接地域の他の神社からのみこしもだんだんに合流し、それはそれはおおがかりなおまつりであったようだ。

一方こどもたちによると、「ぱぱが声が大きくてハズカシかった」とのことだ。この小学生どもめ、修行が足りネエな。

生きているのがイヤ(!?) '03年10月9日(木)

だって、この世でなんにも役に立ってないんだもんとricoが言い出した。

役に立ってますよ。あなた方こどもがいなかったらわたくしの存在理由がありませんわ。というのはじょーだんだが、ちゃんと本心からの言葉として次のように言って聞かせた。「パパとママは、ricoちゃんたちが産まれて、とってもしあわせになったし、元気に育ってもっとしあわせにしてくれたから、じゅうぶん役に立っているんだよ」。

こどものころ、七夕の短冊を書くとき、母の願い事をきいたら「あなたたちが元気でいること」だった。自分の欲しい物とか、行きたいところとかはないのか、と聞いても。。。ソレを思い出すと、この答えは結構こどもにとって重荷なのかもしれないなあ。

今日は24枚 '03年10月3日(金)

フイルムにあらず。例によってオムツの洗濯数である。何枚か追加して入手でき、なんとか間に合っているのであった。これまでの経験上、このオムツとの奮闘も、もうしばらくの辛抱のはずだ。ガンバレ、わたし!


あかちゃん育てに埋没する日々 '03年9月29日(月)

今日は、ちいくれん域で子てを考えよう絡会)で自主保育合同説明会というのが行われた。が、私は産褥中につき自宅から出ず、なんと3歳のamiちゃんだけが活動に参加している。

普段の月水金の活動でも、毎回誰かしらが迎えに来てくださり、amiちゃんだけが出かけていく。おかげで私はあかちゃんとの生活に埋没できるのだが、今日はさすがに“それでいいのかなあ”というキモチになった。みんな資料づくりやら、写真をスライドに焼くとか、あれこれ他にやってるボランティア活動なんかと時間を調整しながらいそがしく働いているというのに、だ。それもただ私が引きこもってるってだけでなく、amiちゃんを預かってまでもらってるのである。ラクをしていて悪いなあ、というのと、私も一緒に盛り上がりたいなあ、という思いと。

でも、現実としてまだ外に出られるカラダではない。ここはひとつ、次のとき恩返しをすべく、今はみんなに甘えておこう。だって、いざってとき、たよってもらいたいもんね。

えッ!至近に助産院が '03年9月26日(金)

なんと、産んでしまってから知る事実! ウチの町内、どころか歩いてホンの1分ほどのところに助産婦さんが住んでいることが判明。そこには入院設備を持たず、自宅 or 提携してる産院に出張して赤ちゃんを取り上げてくださる、というのだ。

ゴスペルのMLに出産報告をしたら、「お産婆さんて、近くの○○さんですか」といった旨のメールをいただき、それで初めて知った。HPもあるってんでアクセスすると、まるでウチへ案内するかのような地図が出ているではあ〜りませんか!看板の一つも出しておいていただきたかったわ。そしたら家で産めたかもしれないのにい!

とはいえ、これは、いわゆる「縁がなかった」というものだろう。だって、近所なのに今まで一度も聞いたことがないんだもの。HPみたところ、別に評判が悪いわけではなさそうなのに。そこいくとA馬助産院は、友達が軒並みそこで産んで、みんないい顔で戻ってくる。いわゆる「ご縁があった」のだ。地理的な距離はあっても、キモチの距離が近かった、これなにごとでも大切よね。

オムツ16枚 '03年9月11日(木)

amiちゃんもそういうタイプではあったが、今度の赤さんもチョイ飲みチョイ出し。やたらと細かくウンチが出るので、オムツ替えに忙しい。従って洗濯が忙しい(昔ながらの布オムツである)。今日はオムツだけで16枚あった。が、オムツ在庫は実は全部で26枚くらいしかない(amiちゃんでもう使い終わりかと思い、洗わず捨てたりして数が減ってる)ので、すかさず洗わないと足りなくなるのだ!!

汚れたらすぐに風呂場や洗面所で水洗いして洗濯機に放り込んでおき、他の洗濯物ともども貯まるたびにまわしては干す。それが1日1〜2回。大きいシーツだのバスタオルだのは後回しにしても、1回分が洗濯機いっぱいである。幸い夏が遅れてきたような陽気にて、すぐ乾くので助かるわ。

もう退院 '03年9月7日(日)

普通出産後5日くらい入院してるものらしいのだが、日曜日に迎えに来てもらう方が帰りやすいので、本日退院することに。短い間だったが、助産院の部屋は懐かしい感じ(昔の女子学生専用下宿を思わせます)で、日当たりも良く、外に流れるA馬川のせせらぎが(窓を開けるとT名高速の走行音、という我が家と違って)ほどよく聞こえ、立ち去りがたい。

母乳マッサージ(とても痛い…)のおかげで乳の出もよく、会陰切開及び縫合がない(その代わり多少は擦り傷があって医療用ホチキスで留めてある、これは退院時に外してもらう)ので体の回復も早い。私の場合、微弱陣痛が長く、その分体力を消耗している、ということでまだ多少疲れてる感じはするけど。

私にとっては家にカエル、彼にとっては初めてイク「自分の家」…。また修羅場がはじまる。

眠れない夜が… '03年9月5日(金)

生まれたばかりの赤んぼというものは、しばらくはなにも食さず寝てばかりいる。その間、全身のチカラを振り絞った母体を休ませてくれるという、まったくうまい仕組みになっている。3度目のお産になるが、相変わらず新鮮な体験じゃ。また、生まれたての赤んぼのすやすや眠っている姿には、なにか神々しさを感じる。「是非たいせつに扱わせていただきます〜」と思わずにはいられないものがある。

さて。助産院には新生児室などないため、分娩室から赤んぼごと部屋に戻ったわけだが、一昼夜経ちいよいよチチを欲しがり泣き始めた。その泣き声を聞くとこちらもチチが張ってくるという、これまたうまい仕組みにできている。年柄年中チチをくわえさせ続ける日々が、いよいよはじまるわけである。しかし、最初は張るものの乳首が(授乳向けには)固いため、吸わせても吸わせてもうまくチチが出てこない。そのため胸が張って痛い。赤ん坊が泣くのと、胸が張る二重苦で夜ほとんど眠れず朝に。

でも、新生児室に赤ちゃんを預けてしまっていると、せっかく張ってきたこの出産最初の母乳を与える機会を逸したりするのである。夜は眠れるが、その間に人工乳を与えられて、「チチが張る=赤ちゃんのお腹も減ってる」というゴールデンなタイミングを逃してしまう。過去その様に母乳育児をつまづいてきたので、今回は頑張るぞ〜!

生まれた生まれたオトコの子!! '03年9月3日(水)

さて、微弱陣痛を感じつつ迎えた朝、amiちゃんはBBの活動に行く、その前に助産院に送ってもらう、という手はずでKよーこさんが迎えに来てくださる。上の息子さんが弁当を持っていき忘れた(のか持たせるのを忘れたのか)ので、助産院の前に中学に寄ったりして。

今度は本があるといいかも、と思って馳星周の小説『聖誕祭』を持っていった。が、実はこういう状況にはとっても不向きな内容であった(^^;。でも面白かったので結局上下巻全部読んだ。ゼンブ読めちゃうということは、家で家事と育児以外のことをいかにできずにいるか、ということとともに、ゼンゼンお産がすすまなかったことを意味する。

夜8時過ぎ、今度は枕を持参して夫および子供たち登場。私もやっと陣痛の間隔が短くなり、陣痛自体の痛みも強くなってきた。部屋で子供たちとTVなんか見ながら、痛くなるとヒッヒッフーをして、9時過ぎ分娩室へ。でもここからも結構長かった。助産婦の先生とヨモヤマ話しながら、痛くなるとヒッヒッフー。11時半過ぎ、いよいよ生まれそうというときは、もうスゴイ形相になってしまっているらしく、何度も「目はつぶらないで、アゴを引いてすまし顔で声を出さないようにした方がしのげるよ」と言われる。amiちゃんはさすがにかわいそうなのでricochicaだけ起こして、当主に手なんか握ってもらいながら0時前後にやっと生まれた。手、足、指、ゼンブ揃ってる。ちいさ〜い!そして、小さい体に割合として大きなチンチンがついてる!かンわい〜!初めて胸に抱くと言うより乗せられたときの意外な重み、懐かしい感じ。さっきまでの痛みがウソのようになんにもなくなりさわやか〜。

臍の緒切って、後産等すべての処置が済んで、そのまま分娩台(というかフツーのベッドなのだが)で休んでいたが、神経が高ぶって疲れているのにゼンゼン眠れない。神様ありがとう、と何度も感謝しつつ午前3時くらいにやっと長い1日が終わった。

陣痛遠のき一旦帰宅 '03年9月2日(火)

入院する助産院のお部屋に、家族全員で雑魚寝しながら出産のときをともに待つ。が、陣痛は一向に強くならず多少痛みはあるものの朝まで眠れてしまった。とりあえず家族は帰宅させ、小学生は登校。連絡帳は撤収。助産院の昼食をいただいた後自分も一旦帰宅することに。「荷物はお部屋に置いていっていいですよ」とか言われて、すごすごと。

あ〜カッコ悪いったらないわ〜。そういえば、amiちゃん出産のときもまるっきり同じで、一旦家に帰ったのでした(しかも歩いて)。

おしるしだ!今夜生まれる…か? '03年9月1日(月)

朝、若干の出血。これはいよいよ生まれる前ぶれなのだ。amiちゃんの送り迎えに車の運転。その間に産気づいたら…。出産経験のない人や、男の人だったらビビりそうであるが、こちとら経験者だ。なに、生まれる直前になっても、陣痛の合間はゼンゼン痛みがなくなる時間があるので、くるまは一時停止して痛みを逃しながら帰ればダイジョブよ。

とはいえ、日中はあまり出歩かず、かる〜い陣痛が1時間おきくらいにきているのを計りながら家でおとなしく過ごし夜に。助産院に電話で相談すると、「経産婦だから、すぐに産気づく可能性がある、夜が更けないうちに来といたら」。こどもたちもだんなも準備をさせて、「赤ちゃんが生まれそうなので立ち会うために休みます」と書いた連絡帳を同じクラスの子に託して、よし、出発!

←back to dairy index

 

2004春[3-4-5月分]へ

2004夏[6-7-8月分]へ

2003秋[9-10-11月分] 

2003春[3-4-5月分]へ

2003夏[6-7-8月分]へ

2003秋[9-10-11月分]へ

2003-04冬[12-1-2月分]へ

2002春[3-4-5月分]へ

2002夏[6-7-8月分]へ

2002秋[9-10-11月分]へ

2002-03冬[12-1-2月分]へ

2001春[(2)3-4-5月分]へ

2001夏[6-7-8月分]へ

2001秋[9-10-11月分]へ

2001-02冬[12-1-2月分]へ