この夏最後のS沼プール '02年8月31日(土)

そう、市営S沼プールは8月一杯で営業終わり。毎年7月10日から8月31日と決まっていて、今年のように9月1日が日曜で夏休みが1日長いとしても、それは変わらないのが特徴だ。もちろん、6月末からどんなに暑さが厳しくなっても7月9日が日曜日であっても決して10日より前には開業しない。さすがは「市民が主役のまちづくり」で有名なK崎市である。

皮肉はさておき、7月の無料開放デー以来、プールと言えば庭のもので済ませてきたのだが、今日はパパもお休み(子どもには“音楽の会社”と言って納得させている某バンドの練習もなく、道場の稽古もさぼって、珍しくホントに休日)なので、家族全員で出かけることになった。もちろん徒歩で。ここのところ体力が落ちている私は、水には入らず小間使い&荷物番&貴重品係として同行。日焼けしたくないし。暇つぶしに古典落語の文庫本を携帯。それでも入場料1,000円払わねばならない。

子ども達の今日の絵日記にはもちろんこのことが大きくとりあげられていた(というかこのことしか書かれていない)。海を怖がっていたamiちゃんも、ウキワで広いプールに浮かんでウレシそうであったが、急いで支度したためカメラを忘れていた。残念ムネン!

市議会を傍聴に '02年8月30日(金)

さて今日は今日とて、昨年末から町内会や街頭で7,000筆以上集めてきた署名がやっと審議されるというので、K崎市役所まで議会の傍聴に押しかけることに。

さすがは「市民が主役のまちづくり」で有名なK崎市だけあって、行政側の答弁は“これは違法ではないので…”“その資料の作成は事業者の負担が大きいので再調査はちょっと…”“指導はするけど事業者がそうするかどうかは…”とか言っちゃって…あれ?ゼンッゼン市民が主役じゃないじゃん!

とにかく、“建築許可するのが当然で、そのための質疑応答をこなしている”という態度なのでビックリであった。

バッカじゃないの?違法だったらこんな審議するまでもないでしょ。そーゆーことじゃないんだよぅ〜!と、皆が思っていることをJ民党含めほぼ全部の会派の議員さんが代弁して下さり、行政側タジタジ。結構チカラづよい風向きになってきたのであった。

教育委員会へ '02年8月27日(火)

さて、ドッキドキの意見陳述から3ヶ月、なんと署名も集めず私がたった1人で出している“小学校新設してくれ”の審議が行われることになったため、教育委員会を傍聴へ。

2時間半にも及ぶ真剣な審議の末、結果は不採択となった。しかし、“環境アセス”のおざなりな審議を見てきた身としてはビックリするほど、ちゃんと審議されたのであった。いや、ビックリしたりしては教育委員の方に失礼だ。やはり、教育委員という方々は、長年教育に携わっているだけあって、子どもの教育権が侵害されず、心身共に健やかに育ってくれることを願ってくれているのだ(まっ私の陳述がよかったから良く伝わったのかも、なんちって)。我が家はもはやK崎市民ではなくなり、S沼小学校からも転出しているので、自分事ではなくなっている。これだけやってもらえればワタシ的には気が済んだ、といえなくもないが。当事者の方(K崎市で小学生のお子さんを持っている方のことだ)にとっては何の解決にもなっていないので、心残りである。

教育委員は(たぶん)教育分野での有識者の代表として、その分野でものを考える立場でしかないらしく、実務は教育委員会の事務局が行うことになってるようだ。こちらが“新設するにあたって用地取得にかかる金額”を調査するなど、実態の把握に動いている。が、このK崎市は大変な財政難、というか破産寸前ということがちょくちょく新聞に出ている。だからもし万が一、○丁目の用地を所有会社から譲ると申し出てくれても、買い取れないのだそうだ。

だがその一方K崎市では、臨海部の再開発大コンサートホール(約3億円のパイプオルガン発注済み)の建設、そして市営地下鉄など、いま必要かどうかわからない事業に巨額の税金を投入せんとしているのだ。しかも、学校をつくるのを惜しむばかりか、公立幼稚園は閉園、学童保育を廃止、公立保育園も民間委託など、教育&福祉部門で節約しようとしている。これって、雨漏りしているボロ家なのに、それを直さずにグランドピアノ買ったり外車買ったりするようなことではないだろうか。

ま、我が家はY浜市民になったので、余計な心配ですが。

『えっちゃんのせんそう』 '02年8月26日(月)

今年は4チャンネルで“火垂るの墓”を放送しなかったので、その代わりにこの映画を子どもらに見せるべく、電車でEポックN原へ。またしてもMノ口駅で乗り換えだ。映画館ではないのは、とある婦人団体の主催する催しであったため。私はとくにその団体と関わりがあるわけではないのだが、平和教育として子どもに見せようと前から考えていたのである。 →そう言えばクリスチャンでもないのに賛美歌歌ってるのと似ていないか?

“えっちゃん”は、ハルピンで終戦を迎え関東軍に置き去りにされた開拓団の子どもだ。岸川悦子さんという方がご自身の体験を子供向けに書いた本が原作。だからほぼ実話である。彼女は国民学校で「大きくなったら20人子どもを産んでお国のために兵隊さんにします」なんて作文を書いていたのだが、終戦と同時にソ連軍に怯えて暮らし、日本人収容所で苦しい生活をし、燃料不足で止まってしまった機関車を降り何日も歩いて港まで旅をする。そして、引き揚げ船の中で「兵隊さんにするのはやめたの」と仲良しの“たっちん”に語る。つかの間の平安、しかし翌日…。予想外の展開に、泣き虫の私は声まで出して泣いてしまったのであった。

すなおなえっちゃんは教えられたとおりに、あんな作文を心から書いていた。子どもというのは、親や先生の言うことは全部正しいと思っているらしい。こりゃ大変だ。正しいオトナにならないと!しかも、オトナの期待に添えようと一生懸命でもある。オトナの喜びそうなことを常に意識しているということでもあろう。気を付けないとなあ。

ちなみに“えっちゃん”の声が江戸川コナンと同じ人だったり、リーシャオロン(中国人の子ども)の声がハム太郎だったりなどした。声の出演者については、中国人にはちゃんと中国人の俳優さんを起用しており本格的。映像については、宮崎駿アニメを見慣れてしまうとどうも物足りないなぁ〜という感じは否めない。しかし、パンフによると、旧満州から引き揚げていらした方からの支援をはじめ、全国各地の平和団体、映画団体などからの支援(たぶん資金の)から成り立っているということだ。きっと、色々な人が頑張って実現した映画なのであって、バックに“日本テレビ”などがついているのとは事情が違うのだろう。

電車でGO!でも乗り換えが… '02年8月20日(火)

先月の自損事故を受けて、当主に車のカギを没収されているため、本日のゴスペルの練習には電車で行くはめに。下記の通りこれがなかなかのチカラ技で、クタクタになった。

まずはベビーカーを押して、S沼駅(ようやくこの春からエレベータが設置されラクラクに)〜Mノ口駅(ここもエレベータ完備、乗り換えラクラク)〜N戸駅と、ココまではそのまま来られた。しかし、このN戸駅でもう一度乗り換えだというのに、ホームまで階段、しかもその階段も工事中で大変狭くなっており、しかも平日昼間だというのに混んでいる。

最終下車駅であるS百合ヶ丘も、駅の規模とは裏腹にホームから改札までは階段のみ。行きはamiちゃんも起きていたので、ベビーカーを担いで手をつないで歩かせることができた。が、帰りはご多分に漏れず眠ってしまったので、荷物を肩に掛け彼女を抱きかかえ、さらにベビーカーをかついで上り下りせねばならなかった。

幸い、駅員や親切な通りすがりの人にベビーカーの方を手伝ってもらえたので何とかなったものの、これがふたごだったらムリだった

そんな風に不便ではあるが、昔ながらのひなびたJRの駅が好きだ。エレベータ完備になった最近整備されたような駅は、どこも同じような町になってしまっていて、便利であるがなにかサビシイ。

金魚残り一匹に '02年8月18日(日)

日曜夜のお楽しみ『Sザエさん』そして『Wンピース』なんか観てのんびり過ごしている間にいつのまにか“えりかちゃん”が水草にからまったまま動かなくなっていた。

ああ、なんてこと!この台風の中、またお葬式をしなければならない。台風はイイとしても、悲しい…。

パパと一緒に映画館 '02年8月16日(金)

当主が急に(前日になって急に仕事があいて)休みが取れたので、1年生のふたりを映画に連れていってくれた。演目は“劇場版ポケットモンスター”の2本立て(正確には『水の都の護神(まもりがみ)・ラティオスとラティアス』+『ピカピカ星空キャンプ』。珍しく実名で公開)。

ここのところ長い夏休みでダレて朝寝坊だった2人だが、なんと朝6時半に起きて、7時に家を出て、9時半からの上映を観ることができた。パパとのお出かけが嬉しいことも重要な要因であるが、それにしても、おそるべしポケモン効果!

私も観たくないわけではない、いや実は観たいのだが、私が来年TV放映まで待つだけで入場料1,800円と電車賃が浮くし、ここはオトナだし我慢。それに並ぶのキライだし。

“ポケモン”は、ストーリーがいちいち私のツボにはまって泣かされるアニメである。サトシとピカチュウのパートナーシップとコミットにより、とても太刀打ち出来ないような相手を倒したり、かたくなな老人の心を開かせたり、敵だった相手を味方にしたり…。(まあ、マンガだとわかってはいるのだが)実生活でもかくあれかし、と思ってやまない。

ウルトラセブン撮影録HP '02年8月14日(水)

↑なるもののURLを、当主が会社よりメールで知らせてくれたので、早速チェック!

すると、そこにはセブンが撮影されたロケ現場として、我が家のすぐ(ごく)近くが紹介されている。当主から聞いたことはあったが、“映像の中のその現場”と“現在のその場所”が並べて掲載されており、なんだかカンゲキであった。14年ほど前、初めて当主の家に訪れた際、なんだか懐かしい場所に感じたのは、そういうことだったのだ。きっと。

実は、私はオタク(死語?)に近いノリでウルトラシリーズに入れ込むコドモだったのだ。大きくなったら諸星ダンと結婚する、と決めていた(しかし時にはキカイダーや仮面ライダー2号などに浮気も)。“帰ってきたウルトラマン”にもややイイ話があったりするが、やはりセブンが一番ステキ。映像としては現在見ると苦笑してしまう部分もあろうが、オトナの鑑賞に耐える人間ドラマなのだ!

とはいえ、予算の関係もあって映像ソフトを揃えておくほどではなかったので、持っていない。こんど“Tタヤ”で借りて観よ〜っと。

「せかいいちのいちねんせい」 '02年8月13日(土)

ricoがいきなり、「わたし、せかいいちのいちねんせいになる」宣言をする。それはどんなものであるか訊ねたところ、「勉強がバリバリできて、ピアノも上手で、お友達にもモテモテ!なの!!」とのことである。「世界一の小学1年生」とは、そうそうはなれるものではない。なかなか見上げたココロザシの高さである。

是非とも実現できるよう、頑張ってください。まず、最下段で40歩ほど歩けるようになった、という竹馬の高さUPなどから…。

あと、chicaが先に生卵を上手に割ったときに、その黄身をねたんでグチャグチャに崩す、などの意地悪も控えてくださいね。

またしても金魚のお葬式 '02年8月10日(土)

かわみくんリサが亡くなってから、えりかあかりあかねどうなつちゃんの4匹体制になった我が家の水槽であるが、今朝あかねどうなつちゃんが浮かんでいた。ああ、またお墓が庭に増えてしまう。

2.3日前から、ヒレや鱗にあやしい白いもやもやが付着している感があり、週末にホームセンターに薬を買いに行った方がいいかな、と考えていたのだが、間に合わなかった。そして、残ったあかりちゃんにもあやしい白いもやもやが付き始めている…。お墓とお葬式を済ませ、またしてもホームセンターに直行し店員に相談の結果、“白点病”の薬、および当主がペット店で情報入手してきた“麦飯石溶液”、さらに新しいエサ水草も購入。

これ以上お墓を増やさないよう、本日より治療体制になるが、手間ヒマ、費用ともにバカにならない気が…。ペット売場に行くと、“熱帯魚もいいなあ”とか、“メダカの光ってるのみたいのカワイイなあ”など、ついつい夢を描いてしまうのだが、ただの和金でさえこの有様なので、手を出さない方が賢明であろう。

どうでもいいけど、子ども達が付けた金魚の名前って、どうなのだろう。ちなみに。生き残っている“えりかちゃん”は3月25日生まれの牡羊座で6才小学1年、“あかりちゃん”は4月16日生まれで11才で中学1年、だそうだ。身体は“えりか”の方が大きい。ナゼ11才が中1なのか?ドコの学校に通っているのか?

連日金魚のお葬式 '02年8月5日(月)

先日のお祭りでricoがすくった金魚は黒い出目金の小さいのだった。これが、もう翌日には動かなくなって浮かんでいた。

だいたい、ricoにすくえるくらいなので、最初っから弱っていたのだ。浮き袋の調整が出来なくなっていると見え、生きているのにお腹が上になったり、尾の方が浮かんでしまいあわてて横に身体を振るなどしていたのを、みんなで夜遅くまで見守っていた。

きのうの朝、彼(オスとは限らないのだが、子ども達が“かわみくん”と男の子のつもりで呼んでいた)を庭の木の下に埋め、お墓を作った。墓標はricoがアイスの棒に書いたもの。そして、すぐにホームセンターに行って、980円で金魚のおうちセットを購入。水槽のほか、エアポンプフィルターエサの小袋などついていておトクなセットだ。そして、よせばいいのにそこで催していた金魚すくいにまた挑戦。ヤバイことに今度はchicaが白い丹頂金らしいのをすくってしまった。彼女にすくえる、ということは…。

この金魚は“リサ”と名付けられたが、その翌日、つまり今日の朝、予想通り帰らぬものとなった。今度はchicaがアイスの棒の墓標を書く番。

たったの一晩でも家族の一員だった者たちを失い、愛情を注ぐとはこういうことなのね、と私は涙を禁じ得ず。当主の方も愛おしそうに金魚たちを眺める時間が増えたような気が…。つまり、金魚に入れ込んでいるのはオトナの方なのである。

夏だ!祭だ!金魚すくいだ! '02年8月3日(土)

から帰る。2泊3日の予定だったが、結局、もう1泊延泊してしまった(当初、宿に空きが無くてそんなことはできないはずだったが、お客さんが1組、お子さんの体調が悪くなって一晩早く帰ったため、延泊が可能になったのだ!)。そのご家族連れには申し訳ないがラッキーであった。

海というのは、私のイメージでは海岸にゴミが打ち上げられトイレは汚くゴミ箱も一杯、というものだったが、今回どの点も大変に改善されており快適だった。観光地も客も、意識が向上しているのであろう。

さて、帰って一息つくとすぐに、浴衣に着替えてS沼商店会のお祭りへ。海の幸を連日たらふく(毎日、新鮮お刺身の山盛りぜめ!)食べてきたので元気いっぱいの我々なのである。そして、子ども達は念願の金魚すくいに直行、そして炭坑節やらチャンチキおけさやらを堪能。

明日には金魚の水槽を買いに行かねばなるまい。


夏だ!海だ!サンドスキーだ! '02年7月31日(水)

今日から家族みんなで夏やすみの旅行!朝5時起きで、南伊豆の田牛温泉(しかも!)へおでかけだ!

この田牛("とうじ"と読む)は、当主が独身時代から道場の合宿でよく来ていたところで、観光スポットは“日本で唯一のサンドスキー場”“浜木綿の自生地”“竜宮窟という名前の空が見える浜の洞窟(『紅の豚』のヒミツ基地を小さくしたようなとこ)”くらいしかない。海水浴をして、そして民宿の温泉にはいるくらいしかアミューズメントが無い。すぐ隣の下田港、その隣の白浜海岸とはうってかわって静かな、ひなびた、ほんとーにひなびた場所なのだ。(ストイックな拳法道場合宿でくるくらいだから、そうじゃなくちゃ、ね)

もうかなり前から、ricochicaから「うみにいかせて」「うみでおよいでみたい」などと言われていた(しかも沖縄へ!などとも言われていた)。しかし、当主の仕事がら、前々から夏休みの予定を入れることはできない。7月の半ばにもなってHPで検索したところ、ちょうどこの日程で泊まれる民宿を発見したので、急遽旅行を企画したのであった。

わたしも、新婚旅行で行ったキューバのバラデロ(世界で最もキレイなビーチのひとつといわれる)以来9年ぶりの海!!ちなみに水着もそのときのものだ。子ども達と浮き輪で波に揺られ、涼しい海の中でくつろいだ気分。来て良かった〜!サンドスキーもやらないと!

尚、amiちゃんは“やだもん”とか、“こあいの”とかいって、チットも海に近づこうとせず。まっ、全員がそうだったら「来た意味ないじゃん!」とイカるところだが、1人位いいか、と寛容な私である。

Wふたごでちびっこプールへ '02年7月29日(月)

S石川小学校で一緒になる予定のW女ふたごのお友達と、近所のデパートの“ちびっこランランプール”へ。水深50Bほどではあるが、庭プールの何倍もの広さゆえ、入場料100円/1人は大助かりである。

そのふたご友達に潜り方等を教えてもらったり、なかなか仲良く楽しそうにやっていた。帰ってから絵日記にもバッチリ書いてたし。

だが一つ気がかりは、そのふたご友達のほうにも、近所の別のお友達も一緒に来ていたのに、ふたご同士ばかりで盛り上がってしまっていたことである。

毎年恒例のプール無料、そしておしゃぶり卒業!…か? '02年7月27日(土)

今日は待ちに待ったS沼プール無料開放デーである。今回は当主と小学生たちの3人で行ってもらった。家事のたまっている私と、世話の焼けるamiちゃんはお留守番。

みんなが出かけると後を追い、“たたしも〜(私もの意)”“おそと、いくの、いくの〜”と言ってゆうに1時間は玄関でグズっていた。もう自分で靴を履けるので、玄関へ下りることができ、さらにドアノブに手をかけ開けようと試みる。しかたなく、すかさずカギをかけ軟禁状態。う〜んかわいそう。でも、さいきん庭プールだって怖がってなかなか入らないので、連れていってもねぇ…。

ところで、もういくつ目になるかわからないおしゃぶり(落とすとすかさずふたが閉まり口に入る部分が汚れない最新型のスグレもの)が破れてしまった。だから、おしゃぶりを与えてなだめることができない。泣かれっぱなしでツラかったわけだが、どうにか、昼も夜もおしゃぶりナシで寝付いてくれたのだ!amiちゃんのおしゃぶり姿は、それなりにカワイらしかったのでちょっと残念な気もするが、、、これで卒業になるであろうか?

本日入学 '02年7月23日(水)

実は先週金曜日、1学期が終了した。ricochicaは転校をするため、S沼小学校とお別れである。その際“在学証明書”&“使用教科書証明書”という書類をもらっていたのだが、それらを月曜日に区役所に提示。その時今度の小学校の名入りで“入学通知書”が出され、速やかに小学校に提出するよう言われていた。

ところが、速やかに提出しようにも、土曜の夕涼み会の代休(先生にとっては休日出勤だったとは…)で当の月曜日の職員室はカラ。昨日の火曜日は例の件で教育委員会に出向いていたためワタシがダメ。

そういうことで、やっと本日S石川小学校(またしてもイニシャルSである)に正式に入学したricochica。一応、校門の前で記念写真も撮影。あとは給食費の口座(今度は郵便局)の登録をして、上履き買って、体操服のゼッケンをはがしておいて、、、さあ、転校の準備は、あと何があるかな…。

友有り、遠方より来たる '02年7月21日(日)

幼稚園に入る前にricochicaが週2回通っていた自主保育グループ“Tんぽぽ”時代のお友達が訪ねてきてくれた(ちなみに、自主保育といっても、母親同士で預かり合うのではなく、先生が家庭で主催しているものだ)。当時は歩いて行き来する場所に住んでいたのだが、幼稚園の入園前に東北に引っ越してしままったママ友達だ。今回こちらの方面に所用があり、ついでにウチに寄れるようにスケジュールを組んでくれた。うれし〜!

彼女のお子さんは鉄道大好きな男の子。当時は、ウチでも“機関車トーマス”に非常に凝っていたので子どもら同士も気があっていたようだった。が、そこは幼稚園入園前の小さい子どものこと、今はお互いあんまり憶えてない感じではある。

だからricochicaにとっては“今日はママのお友達が来た”ということになる。そのママ友達に、わが新居のボロ家(へん?)の、柱がハズれそうなところ(階段の飾り柱なので、一応ハズれても家自体は壊れないが)とか、床が抜けそうなところとか、壁紙がボロボロになっていて下手なキルトで隠してあるところなど存分にご案内し、つもる話しに花を咲かせた一日であった。

夏だ!祭だ!流しソーメンだ! '02年7月20日(土)

町内回覧板で知った小学校の校庭(2学期から新しく通う学校)での夕涼み会。去年まで家族でワタシだけユカタを持っていなかったので、今年こそと思い清水の舞台から飛び降りて購入した。そのおニューのユカタを着て、家族全員5人揃ってユカタ姿で勇んで出かけた。

町内の催し物かと思っていたら、実はこの小学校のPTAの主催で、幼稚園から知っていたお母さん友だちはそれぞれ“本部実行委員席”にいたり、“パトロール中”の腕章をつけていたり、ポップコーンを売っていたりしている。私がのんきにユカタ姿で来られるのも、どうも今年だけのようだ。小学校の卒業生がオトナっぽくユカタで連れ立って訪れたりしていて、地域のお祭りとして大盛況であった。盆踊り、打ち上げ花火(最後にナイアガラまで)と暗くなるまで盛り沢山。

全体に非常に気合いの入った夕涼み会だったが、特筆すべきは“流しソーメン”。これはちゃーんと長い竹を割ったものを斜めに渡して水を流し、そこにソメンを流す本格的なものだった。またしても生まれて初めての体験だ。100円でめんツユと薬味をカップに入れてもらい、あとは時間無制限で流れるソーメンを食べ続けることができる。ricoは食べ過ぎでお腹が苦しくなるまで熱中した。しかし、そのお腹をかかえながら、そのつぎの時間には、盆踊りに興じていたのであった。

台風一過 家プール開始! '02年7月16日(火)

この夏2つ目の台風が最接近。午前6時の時点で警報が出ていたら学校休み、ということになっていたが、たとえそうでなくても休ませた方がよかろうと勝手に判断し、決行した。ワタシが小中学生の頃は、『大雨のなかやっと学校の近くまで行ったら戻ってくる生徒に休みだと聞きスゴスゴ帰った。』とか『授業の途中で一番ひどい雨の中帰り、午後は台風一過の日本晴れ』というようなバカバカしいことが多かったし。

きょうの台風は関東地方にも上陸の恐れがあるというので、内心ワクワク(ごめんなさい)。しかし、当家の付近は、雨量は多かったのだろうが、相米慎二監督の映画『台風クラブ』に出てくるようなスゴイことにはならなかった。

昼頃には小降りになったので、この後のピーカン&暑さを予測し早くもプールの準備に入った。空気入れポンプは破れて廃棄したため、すべて人力。何度も酸欠になりそうになりながらの決死の作業(私の体格をご存じの方はお察しください)。しかし、子ども達の喜ぶ様子を見ると疲れも吹っ飛ぶわ。

突然のじんましん '02年7月14日(日)

昨日の夕方からricoがさかんにかゆがりだした。背中、お腹のズボンのゴムがあたるところ、モモの付け根など全身におよぶ症状らしい。今朝になったらもっとひどくなっている。アセモだろうと思っていた私は結構あわてた。

至急、当地域の休日診療所を調べ、パパに連れていってもらった。rico、かゆいけどパパと2人切りで電車(←クルマがドアの修理中だから...)に乗って出かけられたので、「ぱぱとでーとだ〜!」と喜んでいるし、chicaも羨ましがってる。そういうことではないのですが…。

昼食後ニガそうな飲み薬を飲んだら収まってきたようだ。しかし、今日は例の市議会議員を呼んで行うフォーラムがあり、立場上子どもがジンマシンくらいのことでは欠席できない。少々アセったわ。

スゴイ!2人ともエライ! '02年7月13日(土)

前歯がぐらぐらしている2人。明らかにオトナの歯がかなり出てきて押していて、「早く抜かないと、歯並びが悪くなって、ママみたいにブスなオトナになっちゃうぞ」(失敬だ!)とパパにおどされていた2人。

イチイチ歯医者で痲酔で抜いてもらうのも何なので、なんとか家で抜こうと考えていた。痛そうなので、難色を示していた2人だったが、パパのお膝に頭を委ね、ワタシが手を握って励ます。糸をわっかにして該当する乳歯をシッカリくくり、パパの気力で一瞬にして抜歯終了。2人の歯ぐきにカワイイあなボコがあいた。もちろん出血するが、1回うがいをさせ、しばらくするともう止まっている(→これが止まらない持病の人はできないね)。

しかし、自分の頃を思い出すと、泣き叫びながら母親から逃げまどったことしか憶えていない。ホントーに2人ともエライ!尊敬すらしてしまう。コレは、パパを心から信頼している証でもあろう。将来ファザコンでヨメに行きそびれるかも。

毎日水ブロ '02年7月12日(金)

実は、今週月曜から自宅の「外壁塗装工事」がはじまっている。マンション住まいの時代には、こういうことは理事会および管理会社が算段してくれる(工事費も積立修繕費でまかなわれる)ものだったが、一軒家では、自分で自費で工事業者と段取りをつけるのだ、ということを改めて認識した。足場を組んで、工事費しめて百万ナンボ也、は決して軽くはない(イヤほんと、洒落にならない...)。が、仕方ない。これで今塗っておけば、あと10年間はなんとかなるわけだから。。。

で。この蒸し暑いアツイ毎日に、窓が開けられない。開けても家のすべてをビニールで目張りしてあるから全く風が入らない。室外機から熱風が出て塗装職人さんに迷惑だと思うと、エアコンも入れられない。どこか冷房の効いたデパートでも行けば涼しいだろうが、行き帰りが徒歩ではかえって疲れるし。

午後になって小学生が帰って来ると暑苦しさ倍増。というわけで、ここ3日ほど連日水ブロで遊ばせている。ま、もう明日で塗装は終わり(雨さえ降らなければ)なので、いよいよ昨年買ったプールを庭に出せるぞ〜!!

授業参観初体験 '02年7月8日(月)

本日5時間目はricochicaの生まれて初めての授業参観。ワタシも生まれて初めて保護者として参加する。といっても、幼稚園で保育参観ってあったし、そんな緊張することもないか。

rico1年2組とchica1年5組の両教室を、amiちゃんを連れて言ったり来たりしながら、作文を読むなどの場面を見逃さないようにせねばならず、ホネが折れる。とはいえ、年子のお子さんがいる人は、フロア違いの教室間を上へ行ったり下へ行ったりするようなので、それに比べたらまだラクなのかな。そのうえ、ウチはまだ授業といっても“ひらがなの学習を遊びやゲームで楽しく”というような内容(学級毎に工夫してはある)だし。

参観のあとは教室に残って保護者会。我が家は2学期からは別の小学校に移ってしまう運命であるゆえ、今後のPTAのお話等にまるっきりミが入らないワタシ。amiちゃんもウデの中でぐーすか眠ってしまったので、それをいいことに早退してしまった。

校庭で待っていてくれたricochicaと落ち合い帰ろうとしたところ、ricoのクラスのちょっとワルそうな男子3人が行く手に出現する。“あ〜!ふたごだ〜!”“同じカオでワケわかんね〜!”“サルのだいじなかぎのたば どれがどれだかわからない〜”と、国語の教科書に出てる文節まで使ってからかって来るではないか。ここに母親もいるというのに、大胆だこと。当方は悪いヤツはヨソの子でも叱る主義のため“こら!あんたたち自分が言われてイヤなことはやめな!それにふたごのドコが悪いのじゃ!”とかるく叱りつける。が、その間ricochica2人とも離れたり逃げたりしてそっぽを向いている。いつもこうして、言い返したりできないでいるのか?情けね〜な〜。

しかし、話には聞いてたけど、ほんとにこんなことでからかわれるのね。新鮮。ということで、“や〜いふたご〜!”の現場を目撃したことが、真に生まれて初めての経験であった。

ところで、この日は、参観の前にもう一仕事していた。低学年の参観日というところに目をつけ、あと200枚ほど残っていたチラシを手渡しで校門の外で配ったのだ。みんな来るのよ!当事者なんだから!と眼力をこめつつ物腰はやわらかく…。M岡さんと2人でやってたら、参観にやってきたHたT子さん(イニシャル大サービス)もすかさず手伝ってくださった。涙。ほんとにありがとう。

七夕飾りぎりぎり間に合う '02年7月7日(日)

何日か前から、ricoに“ねえ、たなばたは?たなばたは?”とウルサク言われていた七夕飾り。前述のとおり、こういう年中行事には(というか、生活全般に)気合いの入らないタチの私なので、しらばっくれ通してきた。それにとてもそこまで気が回せるような生活ではない。

が、今日ぐーぜん当主が庭の雑草をむしっていたら、1メートルくらいに伸びた笹を発見!マメ科とおぼしきツル植物が何やらごちゃごちゃ絡んでいるところを伐採していたら出てきたのである。多分もう幾日か前だったらもっと短かったハズ。数日前の雨で、急に成長したのだろう。これは天の助け!

急遽この笹を刈り取って床の間に運び入れ、その場で折り紙でてきとうに飾りを作り、短冊を書かせて、7月7日当日に急ごしらえで間に合った。ricoも、chicaも「大きくなったら、歌手になりたい」などと短冊に書いている。amiちゃんも真似して誰にも読みとれない“なにか”を短冊にかいている。3人ともなにやらうれしそうだった。よかったよかった。

できれば体験したくなかった… '02年7月4日(木)

なにが起きたのか一瞬わからなかった。T字路を左折しようとしたら、右から直進車が来た。あまり広い道に見えなかったので先に通すため左に寄せ途端、思いっきり何かがクルマの土手っ腹を直撃、同時に助手席の窓ガラスが粉々になって車内に飛び込んできた。当主の長年来の愛車、日産テラノ90年式の車高からはまるっきり見えない低いポールが、歩道の端の思いっきり邪魔な位置に設置してあったのだ。

すぐに、T字路の突き当たりにあるデパート配送所の警備のオジさんが駆けつけてくれて、“これね〜みんなぶつけるんだよ、何人目かわかんないや”と言いながら、そのポールがめり込んだ状態からの脱出を誘導してくれたり、飛散したガラスを片づけてくれたりと親切にしていただいた。

今日は当主が昼出社なのでたまたま在宅していた。amiちゃんの番をしてもらえるその間にと、(1)チラシ最終地域に配布(2)そこの分が足りないので、担当分が終わり余っているという家に回収に(3)回収した分をさらにポストに(4)3軒だけ離れた所のマンションへ移動 という計画で動いていたのだが、その(4)の段階で起こった。あと200枚で(12.000枚ほとんどが)完了だったのに〜!

免許をとってかれこれ18年(ひっ!こんなになるのか)、ゴールド免許の私、こんな大事故は初めてだ。人身や物損でなくて、まさに不幸中の幸い。でも、今年はホントに生まれて初めての体験が続くなあ。


チラシ刷り 今度は12,000枚 '02年6月27日(木)

“学校問題”と“S沼を守る会”では、次々と行政や市民へ呼びかけを仕掛けているのだが、次は来月半ばに議員(この地区選出の人たち)を呼び、住民は100〜200人集めて、大きな催しを行うことに。今度はチラシを沢山刷るぞ〜ということで、よりいっそう綿密に枚数を割り出し、配布地域の選択と人員配置等を検討した結果、12,000枚(!)。もうこれは“たったの”といえる枚数ではない。

たまたま今日は某ふたごの会で、幼稚園選びを話し合う用事があった。その会場である保健所と、チラシの印刷機がある区役所の区民活動支援コーナーを行きつ戻りつする。支援コーナーでは、午前中Kンガルー通信印刷をやっているということなので、それが済んだら至急12,000枚チラシにとりかかれるよう待機する。12時過ぎにはお弁当をamiちゃんに食べさせたり、途中戻って学校帰りのricochicaを家で出迎え連れてきたりと、これまた行きつ戻りつ。

あと500枚、というところで印刷機(リソグラフ)の調子が悪くなり、手間取って5時近くまでかかってしまった。お宅のポストに入ったら、捨てないで丁寧に読んでいただけると報われます…(なぁんて控えめに言ってみましたが、この“問題”でもろに影響をかぶる地域の方は、ただ丁寧に読んでるだけで済ませちゃだめよ!)。

テーハンミングッ! '02年6月25日(火)

日本代表が敗退した時は何でもなかった。が、しかし、今日は泣けた。

韓国サポーターが“大韓民国!”って言っているのがわかったのはついこの間だ。なんか、スバラシイような、滑稽なような、何とも言えない感じ。“中華人民共和国!”“アメリカ合衆国!”とかって言っているようなモノだし...。でも、民族の誇りを感じる。なので、その誇りに感化されて、家中で一緒になって“テーハンミングッ”コールをして応援したのだった。

最後まであきらめずに攻め続けて欲しかったが、イングランドやブラジルとは攻めのスピードが違うと感じざるを得なかった。試合が終わっても会場のサポーターが“テーハンミングッ”コールをやめず健闘を称え続けている様子に一番泣けたのであった。

ところで。我が家のウラにアパートにあって、そこに住む学生さん宅に仲間で集まって、“ニッポン!ニッポン!”なんて盛り上がっていたのだが、日本が敗退した途端、集まってのサッカー観戦はやめたみたいだ。今夜は、静かだった。先日まではたのしそうでよかったのになあ。 

ずっとともだち '02年6月24日(月)

子ども達を寝かしつけていたら、甘えんぼのchicaが「まま、だーいスキ。あのね、ままがおばあちゃんになっても、ずーっとともだちだよ。」と。クー可愛いわ!

そして、「ままがおばあちゃんになって、ワタシがままみたいな立派なお母さんになっても、ときどき会って一緒にあそぼうね」というので、何をして遊ぶのか聞いてみたところ、『たかオニ』とか『ドッジボール』だと言う。

おばあちゃんになってオニごっこはツライので、他はないのか聞くと、「それじゃ色オニ!」…だからオニごっこじゃなくて、他は?「ブランコ!」「滑り台!」…おばあちゃんと立派なお母さんが、ですか?

お庭でバーベキュー初体験 '02年6月22日(土)

義父母を新居(という名のボロ家)にご招待。天気もなんとか持ちそうなので、庭にアウトドアコンロとアウトドアテーブルを並べ、“自宅BBQ”をするという趣向にした。彼らは炭火焼きの牛タンやカルビなどほとんど食したことのない人間である。だからこそ、ちょっとフンパツ。親孝行じゃ〜!

だって、あまり安定しない生活の中、外食も旅行すらもあまりすることなく、苦労して夫を大学にまで通わせて立派に育ててくれた両親なんだモンね。

我々も、BBQを“甲府サルサフェスティバル”や、山中湖にある“おやまのおうち”でなく自宅で行うのは初めてだ。クーラーボックスでなく冷ゾーコから肉を出し、紙皿でなく使い慣れた食器で食べる。庭は狭くて家はボロいけど、一軒家が買えて良かった

数珠つなぎでハズしまくりの毎日 '02年6月11日(火)

昨日の昼過ぎ、ケータイが使えなくなっていた。かかってくる電話はとれるが、自分から発信しようとすると、“この電話は都合により使用を制限しております”というアナウンスが流れてしまう。はっ!と思い確認すると、毎月10日が料金の引き落とし日に残高不足!
4月26日の
電気代引き落とし事件に引き続いて、またやってしまった〜〜〜〜〜〜〜!

失態はそれだけではなかった。朝一番にケータイショップに支払いに行ったその道々、小学校で一緒の(クラスは別)I川さんにばったりお会いする。「ウチのクラス、これからそこの居酒屋で昼食会なの〜」と言う。はっ!ワタシもchicaの組のそれが今日ではないか!

そもそも、10日は給食費の引き落とし日で、それを朝一番に入金することばかりに気が行っており(ちょっと前に気づいてりゃいいのに)、そのためケータイの方をハズしてしまっていたことで、次々ハズしていたということなのだ。ああ、ワタシってボンクラだわ…。

段ボール山積みのまま、その3 '02年6月9日(日)

我が‘Sゴスペルクワイヤ’が創立1周年を記念して区民音楽祭コーラスのつどいに参加。このイベント出演は、ウチの引越などとは関係なく、2月頃から決まっていた。今日はその当日。

最後の最後まで、英語の歌詞が不安で、何度も独り言のようにつぶやき続けていたのは私だけ?生まれて初めて何百人もの前で歌ったのだが、『Total Praise』(4月23日参照)を歌い終わった時には、感動で全身が震え、涙が流れ続けたのであった。

家の中が段ボール山積みなのに快く(?)送り出してくれた当主に感謝。そして、持てるチカラを出しきって歌うことができ、神さまに感謝。アーメン。

それにしても、ほかの参加者の皆さんは、殆どが典型的な“ママさんコーラス”。衣装なんかデパートのフォーマル売場にあるようなのとか、ゾロっとしたロングのフレアースカートとかをバッチリ揃えている(たまに男声のみのグループもいるが、こちらはタキシードでお揃い。オヤジ達がとてもステキに見えます)し、歌も“す〜うみれ〜えのは〜な〜、さ〜あく〜うころ〜”などが主流。そんな中、ジャズピアニストのケーコ先生の伴奏でソウルフルな英語の歌は、かなり異色だったに違いない。

家庭訪問なのに昼寝中 '02年6月7日(金)

今日はricoの方の家庭訪問。先生が来るまで、ちょっと横になって休むつもりだった。が
ここのところ連日のように

  (1)早朝家族が寝てるウチにチラシ配り
  (2)
ドコを拭いても未だにまっ黒な家の掃除
  (3)
遅々として進まない段ボール荷ほどき 

といった労働をこなしていたことで思いのほか疲労していたらしく、いつのまにかすっかり寝入ってしまった。あげく、先生のピンポンで目を覚ますことに。

今日はだいぶ段ボールが片づいていて、お茶の用意もできるはずだったのに、この“寝耳に水”状態で、またしても何〜んも出さずじまいとなってしまった。

それにしても、庭から上がれる和室の、風通しが良くてお昼寝の気持ちいいことといったら!
日本家屋っていいわ〜(でも冬がちょー寒そうだが)。

チラシ刷り1000枚 '02年6月4日(火)

6月15日に学校問題のフォーラムを予定している。引越のドタバタでずいぶん手間取ってしまったが、やっと今日、そのフォーラム告知のチラシ刷りに取りかかれた。

今回は地域限定にして、前回買って余った紙で1000枚刷るだけなので、ほんの30分ほどで終了。しかも、印刷機のある“区民活動支援コーナー”の運営委員のオジさまがちょうど当番で在室しておりラッキー。「頑張ってね」とか言いながら手伝ってくださったのだ!ま、その代わり、ちょっとオジさまのボヤキを聞いたりするハメにはなったけど。

前回に比べると“たったの”1000枚なので、印刷も配布も楽チン。こーゆーことを、“器が大きくなった”というのかしら。なんちって。

段ボール山積みのまま、その2 '02年6月3日(月)

chicaの方の家庭訪問が今日だった。無論段ボールの山の中で、“この通りなので何のおかまいもできません”とか言って、なにはばかることなくお茶の一杯も出さず。先生は手をつけないらしいが、それでも一応ココロザシとして茶&菓子のもてなしをするもの、ときいていたのだが。ああ、引越直後でよかった

段ボール山積みのまま '02年6月2日(日)

昨日はとうとう旧自宅マンションの掃除が出来ずじまいだった。このままで次のひとに明け渡すわけにはいかない、という気持ちで、朝から1人で何もない部屋にお掃除に。たった2LDKなので1人で充分。と思ったら、あにはからんや。もう電気が止まっていてせっかく持っていった掃除機が使えない(ブレーカーを上げても反応しない)し、2、3日前にサカナを焼いたあとグリルを洗い忘れてたままだし、風呂にも残り湯があるし、、、、、午前中いっぱいかかってしまった。

住みにくくて、子育てしにくくて、早く出たいとばかり思っていたマンションなのに、さあこれで終わり、という段になったら不覚にもが…。思えば6年間、この床の上でricochicaがハイハイしたり、あちこちでオシッコ漏らしたり、時にはおっきい方がころがったりしていたのである。

しかし、シミジミする間もないまま、鍵を不動産屋さんに届け、とって返して今度は教会へ向かう。またしても例のミーティングがあるからだ。今後の方針を話しあう大切な会なので出ないわけにはいかない。ちょっとチコクしてしまったが、段ボール山積みのまま来ているので、許して下さい…。

一睡も出来ぬまま '02年6月1日(土)

引越当日。昨日はとうとう一睡もできなかった。

5月末日、午前中に前のマンションの部屋を売る手続きを完了させ、午後に今度の家を買う手続きをする、と、まるで綱渡りをするような一日。今思えばよくぞまあ書類の不備もなく、現金で用意すべき諸費用なんかも揃えることができたものだ。なんとか午後3時過ぎには全ての手続きを終了。amiちゃんは同行させるが、ricochicaは学校から祖父であるマサオ宅に直帰させる。夜amiちゃんも合流させてコドモは祖父宅に一泊させる手はずだ。

コドモを落ち着かせたあと自宅に戻り、引越業者に任せたくないパソコン&周辺機器、そして普通の家庭にはそうないであろうタイコ類(特にバタ:この物体についてはラテンフロア楽器紹介コーナーをご参照ください)等を自分らで運び、連日のドタバタであまりすすんでいなかった荷造り、段ボール詰めを泥縄方式ですすめる。引越業者の営業が見積もって事前に渡されていた段ボールの全てを完全に使い切ってもまだ台所や洗面所の荷物が残ってる。 (→多分20箱くらい残るから、当日荷造りの人にやってもらう、ということにはなってた)

よくぞまあ、こんな狭い空間にこんなに荷物がつまっていたもんだ。引越業者も、通常の2LDKはこの位だ、という見積であったのだろうが、どっこいウチは趣味の持ち物が多い。そのうえ“コレはなにかに使えそうだからとっておこう”という精神の持ち主一家なので、通常の見積で見合うものでなかったのだ!

で、作業で一睡も出来ないうちに東の空が白んでくる。朝の爽やかな雰囲気をたたえつつ、引越やさんがやってきた(こちらは完徹でドンヨリしてるが...)。お願いしているとおり、残りの荷造りはおまかせして、私は新居の方に掃除に行く。荷造りの現場にいると多分いたたまれない(捨てるようなモノがあると恥ずかしいし、迷うようなモノがあると、はかどらない)ので、逃げるに限る。掃除は4丁目で仲良くして下さってるM岡さんとU井さんがお手伝いに来て下さり、大変助かった。新居宅は想像以上に汚れており、マドから壁から床から、M岡さん宅の山のようなぼろタオルを使い捨てにしながら拭いても拭いてもまだ足りない。

荷物のトラックへの積み込みも難航。近くなので移動は5分くらいだが、新居への運び込みも難航する。台所用品をほどく作業(これもM岡さんに目一杯手伝わせてしまった。感謝!)以外はおいおいやっていこう、と無理矢理のんきに構えざるを得なかった。

実家の助け、ご近所の方のお手伝い、そしてコンビニがなかったらこの引越、不可能だった。。。。

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